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大地よ アイヌとして生きるのakiakaneのレビュー・感想・評価

2.9
※4/29初日舞台挨拶にて
監督「約四年半かけて制作しました。
制作のきっかけは、藤原書店の社長さんに宇梶さんの映画を作ってみたら、と言われたこと。そして宇梶さんとお会いして半年ほどの時、発する言葉の中に力・エネルギーを感じる宇梶さんを取材し続ければ何か色々話してくれるのではと直感で思ったこと。もう一つは私自身、父が中国の東北にある満洲族(大清帝国を築いた一族)出身、母が日本人というルーツがあり、アイヌも満州族も北方民族という視点で見た時に極めて多くの共通点が見つかったことでした。
アイヌの文化や言葉が失われているように、現在1000万人いる満州族の中でネイティブに満州語が話せる人は皆おじいさんおばあさんで僅か15人しかおらず(亡くなると言葉が消える危機に晒される)、満州族の信仰もアイヌと同じシャーマニズムです。
宇梶さんに映画に出演していただいて、アイヌの文化をもう一度思い出していく中にアイヌの精神、アイデンティティを強く伝えていただきました」


監督の共鳴したシャーマニズムを表現する一方で、アイヌに対する社会的・制度的な差別と迫害の歴史についてもう少し補足を入れることはできなかっただろうか。
本作ではアイヌに対する差別は遠い話ではなく今も残っていることに触れず、静江さん個人の就職差別の体験と心の持ち様の変化、言わば“目覚め”で終わってしまっている。また、全面的に出るのは詩や刺繍、舞踊、儀式、ステージといった文化面で、大学研究者などに盗まれた遺骨の未返還、土地の権利の未返還、それらに謝罪がなされていない事実、現在も続く結婚・就職差別に触れずに漠然とアイヌの活動と呼んでいる。
150年以上続くアイヌの活動は、自然を大切にすることではなく(それは思想の一部分に過ぎない)、和人から奪われた権利と尊厳を取り戻すことである。アイヌを扱う作品や企業が率先してこれらを取り上げないのは、文化やモチーフを借りている立場としてあまりにも無責任ではないだろうか。

本作に限らず、アイヌの文化面ばかりを強調した作品からは、昨今のSDGsが「なんとなく環境に良いこと」、いわゆる「エコ」の言い換えに使われることと同様の違和感がある。(SDGsをエコではなく、例えば「Goal5-1.すべての女性と女の子に対するあらゆる差別をなくす」の意味で使っているメディアや企業を寡聞にして知らない)
表面的な「映える」アイヌ文化を(チタタㇷ゚など一部を和人風に改変しつつ)持て囃す一方で、最も重要な彼女たちの尊厳や権利、差別について語りもせずに
「自然に感謝し共に生きようとするアイヌの美しい精神や世界観が世界を救う鍵だと思う」
「この文化を後世へ残さなければいけない(※その文化や言葉を同化政策によって消そうとしたのは和人である)」などという無邪気なコメントや感想には(ゴールデンカムイの聖地巡礼で10000km以上レンタカーを走らせた自分が偉そうなことを言える立場でないことは重々承知しつつ)、どこまでも「外側」にいる人々の他人事な姿勢を感じずにはいられなかった。
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