「私を表すものに包まれて、私が完成される」
映画そのものも「いかにも」なものではあったけれど、それも監督の葛藤の過程の一部なのかなとも思ったり。
それでも「良い人」として三島が描かれるのには大分違和感がある。多数派を前に沈黙を迫られるのは常にマイノリティだ。
『多様性』という言葉が頻繁に使われ、認めるべき・歓迎すべきという意見に『画一化』されてしまっているのではないか、という問題意識を監督が指摘している。
監督の言う『多様性』が何を具体的に指すのか分からないけれど、この部分は納得できない部分ではある。