ドキュメンタリーの負の可能性と一縷の希望が観られた。
石原さとみは三澄ミコト(『アンナチュラル』)にも存在した、暗さ・つらさがさらに大きくなって沙織里としてそこにいた。沙織里はどんなに苦しくても豊と共にそして自らの力で進み続けている。
不破(細川岳)が“佐々木”(『佐々木、イン、マイマイン』)みたいに軽そうな人だった。
現実の人物像(または演じるのが得意なキャラ)を延長線上にある人や縮小・拡大させた人をいい構図で切り取っている話はいいな。青木崇高(豊)、森優作(圭吾)、小野花梨(三谷)、中村倫也(砂田)もそうだった。
車の中で悪態をつく圭吾からの、上司の舐めプに対する砂田のドアガラス越し暴言のリフレイン最高。ほぼホラー。
SNSの貧しさやフィクションとの向き合い方、距離感の取り方が難しい。難しいけど、難しいからずっと考える。
現実の貧しさとSNSはつながってることが多いのかもしれない。