やぁま

ミッシングのやぁまのレビュー・感想・評価

ミッシング(2024年製作の映画)
4.0
まず初めに言いたいのは、ポジティブな感想を言うのであれば、本当に凄いものを観たな。と率直に思える作品だったということ。
邦画を劇場で観る機会は殆どなかったけれど、絶対的に観る価値はあったなと思えた。

ただ、ど直球に言わせて貰うと、きっっっっっっっっっっつかった、、、、、。
『空白』の監督と知ってある程度覚悟はしていたものの、空白以上に心にずっしり来る重たい内容と展開の嵐に、感動とかそんな単純ではない感情に掻き乱されて、もはや涙を流すことすら出来なかった。
(実のところ、途中あまりにも見ていられなくて、人生で初めて劇場で気分悪くなってしまい、退場しようか迷ったほど。)
とても評価が難しい作品ながら素晴らしい作品だと思うけど、正直、本気でキツい。
これを観て、どんな形であれハッとさせられることが無い人間はいないんじゃないかな。

石原さとみや中村倫也初め、役者達の演技がヒリ付くほどリアルで、ワンシーンワンシーンの解像度が驚くほど高く、まるで本物のドキュメンタリーを観ている様。
帰らぬ我が子を想いながら日々の生活になんとか折り合いを付けようともがく夫婦も、大義名分を掲げながらも残酷な現実を前に行き先を見失ってしまう記者も、きっとこの国のどこかに、少なからず存在するのだと思う。

空白を観た時はマスメディアに対しての露骨なアンチテーゼを感じたけど、本作を観たら少し印象が変わった。
どちらかというと、「マスメディアの必要性って結局のところなんなんだろう?」というのと、「我々視聴者は、マスメディアとどういった距離感で付き合っていくべきか。」という部分が大きいのかな。
たとえ作り手が本当に事実を伝えるための報道を行ったところで、メディアという媒体に載った時点でその殆どが事実を模倣したエンタメに成り下がり、娯楽として昇華されてしまう現実。
と同時に、例えば認知を拡げるという趣旨だけを切り取れば、圧倒的な拡散力を行使できるパワーを持っているのもメディアであって、メディアを完全なる悪とは断定出来ないきらいがあったりね、、

序盤の弟のインタビュー映像からも分かるように、本編の構成そのものが観客を煽るようなミスリードから始まり、被害者家族の精神が崩れていく痛々しい様子や、そういった状況次第では被害者家族自らがメディアの印象操作に加担していってしまう怖さなど、メディアの内側と外側を上手いバランスで魅せているなと思う。
そしてこの過程こそがまさしくエンタメなのだなという皮肉。

本作自体きっちり結論を提示している訳ではないと思いつつ、人は人を裁く権利をいつ何時として持ち合わせていないのだよな。ということを再認識させられると思う。
人間は必ず善と悪の二面性を常に持ち合わせており、完全無欠、純真潔白な人間はこの世にまず存在しなくて、いるとすれば、「今現時点において"そう見えている"という事実のみが、ただそこにあるだけ。」なんだろうと思う。
それらを一つの事件を通して、それぞれの登場人物の立場から追体験して行くことで、「他人の一部分だけを切り取って安易にあれこれ判断するな!」という説教臭いものというよりは、改めて前提条件から立ち返ってもう一度見直してみよう。といった感じなのかも。

同時に、マタイによる福音書のある一説が、個人的にはしっくり来ました。
以下、新約聖書より抜粋します。
『人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。
あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。
あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。
自分の目に丸太があるではないか。
偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。 (マタイによる福音書 7:1-6)』

ひとまず、一度でも誹謗中傷に関わったことのある人たちは、それぞれの当事者の視点でこの物語を見た上で、どう感じるのか。反芻して欲しいなと思う。
やぁま

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