ひこくろ

キリエのうたのひこくろのレビュー・感想・評価

キリエのうた(2023年製作の映画)
4.5
岩井俊二はアイナ・ジ・エンドの歌声に惚れ込んだんだろうなあ。

元BiSHのアイナ・ジ・エンド(以下、アイナ)はもともと歌唱評価がとても高い。
ハスキーな声を絞り出すように歌い上げ、そこに圧倒的な感情をも盛り込んでくる歌は、上手いというよりも心に刺さってくるという感じだ。
この声を、この人を、映画にしたいという思いが、先にあったんだと想像する。

だから、映画は主役のアイナが「なぜ歌うのか」を中心に描かれる。
下手をしたら、よくできたプロモーションビデオになりかねないやり方だが、岩井俊二はそこに強いメッセージ性のある物語を用意することで、しっかり映画として撮り上げる。

正直に言えば、前半はかなり浮いている印象を受けた。
歌以外は声を出して話せない、というキリエの設定だけが目立ち、キャラクターとしては成り立っているものの、生きた人間として伝わってこない。
むしろ、広瀬すず演じるイッコのほうが人間味が強く、主役はイッコなのかと思ったぐらいだ。
その辺は岩井俊二も意識していたのだろう。
まだキャラでしかないキリエの印象を吹き飛ばそうとするかのように、前半はひたすらアイナが歌い続ける。
彼女の歌声の魅力で、人間味の薄さをカバーしたのだと思う。

そして中盤からがこの映画の本番だ。
ここまで断片的に描かれてきた、幼少期のルカ(キリエの本名)、高校時代のルカが、現代のキリエと繋がり、彼女が一気に肉付けされていく。
ただ「歌うだけのキャラ」だったキリエが、とことんまで人間に変わっていく。
そこにはもう歌手のアイナの姿はない。
いるのは、キリエというひとりの人間だ。
そして、キリエを通して、イッコ、夏彦といった他の人たちの姿も浮かび上がってくる。

「何も終わってないんだよ」と叫ぶかのような岩井俊二の強いメッセージ性が、ルカ、イッコ、夏彦の姿から響いてくる。
彼らは何も語らないけれど、そのメッセージは強烈だ。
そして、キリエの歌と、歌うキリエの存在が、余計にメッセージを鮮明にする。
「アイナ」と「キリエ」がひとつになり、映画が完成する。

約三時間と聞いた時は、長すぎないかと思ったが、それぞれの人生をしっかりと描くためには必要な時間だった。
まったく冗長ではないし、適切な長さだったなあ、と観終わっても感じる。
とことんまで、映画であることにこだわり続ける岩井俊二ならではの音楽映画だった。
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