平山と(たぶん)同世代で独り身だからか、しみじみ気持ちがわかるような場面がいくつかあった。羨しい、しかし絶対に真似はできない、ひたすら淡々とした日常。
台本を見てみたい。役所広司が読んでいたであろう日本語の台本と、ヴェンダースが読んでいたであろうドイツ語(英語?)の台本と。ドイツ語わからないけど。
二つの台本は、同じようであって、同じではないだろう、、、と思う。その二つの台本があの一つの心に染み入る作品に、どうしたら結実するのだろう。
小津リスペクトだというヴェンダースさんは、日本語が分かるのだろうか。言語として、ではなく、何かもっと深いレベルで。