大陸

エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命の大陸のレビュー・感想・評価

4.0
この映画を観るには、まずイタリアの歴史を知る必要があった
1871年のイタリア統一に向けて(それまではローマ教皇領、というのがあり統一はされてなかった、約1100年も続いた!)の流れがあった。
統一によりローマ教皇はバチカンに閉じ込められることに
対立は1929年のラテラン条約によりバチカン市国の存在が認められるまで凡そ60年続いた
また、この映画をきっかけにキリスト教とイエス、ユダヤ教とエルサレムの問題まで派生して調べてみた。
これらの知識を得た上で観ると、より深く入り込めるのではと思った。

以下映画の内容

○個人的に分からなかったシーン
•エドガルドが十字架に磔られたイエスに刺さった杭を外すとイエスが動き出し、教会の外に出ていく。あれは何を表現したかったのか
•1878年ローマ教皇が亡くなった際に、遺体を捨てろと暴動が起きた時に同調した意図


子供のエドガルドはとても素直で可愛く、初めは家族のもとに帰りたいと思っていたが、段々と心境が変わったと思われる。
大きくなったらエドガルドが兄の助けに対して拒絶し、両親との繋がりも求めないようになった。
父親の葬式にも行かないし母の死に目には洗礼を受けさせようとする。
家族から非難されても、彼はその後30年宣教を続ける。
洗脳だとするといつか我に返りそうなものだが、その後もずっと宣教を続けていたからエドガルドは本当に自分で選択したのではないかと思う。

信仰は素晴らしいものだと思うが、違う宗教で讃えるものが違っても、その目的が一緒であるべきであり、互いに認め、受け入れるべきなのだと思う。
今回エドガルドが洗礼を受けていたことにより家族が離れ離れになり、やがて心も離れてしまった悲しい話だと捉えているが、この映画の根底に何があるのか考える時、それはローマ教皇の権力の大きさ、そして教皇自身のその権力の使い方があったのではと思う。
自分に逆らう、その者をひれ伏せさせるシーンは多くあった。
指導者であはあるが、自分の力はそこまで大きくないのだという思いが少しでもあったなら、この家族の状況、歴史は変わっていたのかもしれない。
この教訓は昔の話ではなく、レベル感は違いすぎだが今の自分にも言えることなのではないか。
この映画は実話を元にしており、エドガルドは1940年まで生きていた。大昔の話ではない。
周りにいてくれる人、協力してくれる人に感謝していかないといけないですね。
大陸

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