パイルD3

落下の解剖学のパイルD3のレビュー・感想・評価

落下の解剖学(2023年製作の映画)
4.5
これは受け身が取れないヤツですね、
かなりの大技を決めてきた映画でした…

3人家族の父親が、
上階から落下して死ぬという一大事を発端に、
事故か?事件か?
自殺か?他殺か?
この4点についての、圧倒的な検証と審問に付き合わされることになる。

いくつもの化学的見地に立った現場状況の解析と、見識者による推察、証人への尋問と弁証。これがガチで繰り広げられる。
タイトルの解剖学というのは、これらの検証過程で浮かび上がる人間の心理と行動が丸裸にされていくことを指しているのだろう。

さながら現代版「羅生門」と言いたくなる展開なのだが、如何せんセリフ量がハンパなく、裁判所のやりとりはついて行くのがやっとだった。

しかし、結果的に作品に対して大きな勘違いをしながら裁判の行方を見守ってしまうのだが、本当の視点はそこにはない…

《推理よりも人間凝視のドラマ》

裁判のシーンは言葉で表現するなら凄絶の一語で、もはやあの場で裁判に立ち会うあっち側の人たちも、観るこっち側も苦行に近い緊張感で引っ張り回される。
ところが
この作品、実はメディアが評しているようなストレートな真実探しの推理ドラマなどでは無かった。騙されてはいけない。

もっと重要なものを作り手は中心に据えている。
ただ、あまりにも演技力のある俳優たちが強烈なアンサンブル芝居を見せるので、そっちに目が奪われるが、それは外側の面白さで、真ん中にあるのは家族の話であり、親子の話であり、何より事態から取り残され続ける子供の話である。

《少年-息子の立ち位置-》

この少年が盲目のハンデをもっていることが、逆に登場人物たちの見えない心の交錯をフォーカスしてみせる。
一気に少年の心の中を、文字通り解剖していくような部分にドラマが集約される流れは見事だ。

更に裁判が進み、あらゆる証拠が出てくる。
親たちの実態を示す厄介な証拠品が出てきて裁判で公開されることになる。
これには判事も少年を気遣って
“あなたは明日の審議の場には出なくていい“と言う。
少年は、“いや出たい“と請願する。
判事は拒むように“傷つくことになるよ“
と返すが、少年は答える。
“もう、傷ついている
僕は立ち直りたいんだ“

この少年の一言を中心にしたストーリーだと気付かされる。孤立したくないギリギリの抵抗を見せる少年の姿は胸に迫る。
短いシーンだがひとつの見せ場である。
 
《脚本》

人間としての尊厳、絶え間なく繰り返す動揺、真偽を紛らす嘘、所詮は男と女である夫婦の距離感、外面と内面の格差、言葉に出来ない純真…といった微細にわたる崩壊しかけた心理を拾い、片やドラマを複雑に捻じ曲げる裁判の検察と弁護側との攻防に至るまで、脚本が凄すぎる。 

例えば、検察側が言葉尻をつかまえて、虚偽じゃないのか?と執拗に詰め寄るところなど、相手の人格を無視した疑念だけで徹底的に追求するえげつなさが見ていて苦しくなるほどだ。

《ザンドラ•ヒュラー》

フランス映画でありながら、脚本以外にも監督賞はじめアカデミー賞の主要部門にノミネートされているのも納得出来る。
ひょっとするとだが、ザンドラ・ヒュラーの主演女優賞と脚本賞はオスカーを獲得しても不思議ではないと思うほどインパクトがあった。
ヒュラーの役どころは複雑で、母親と妻の切り分けた姿と、女としてプライドを守る強い演技は引きと押しのバランスが絶妙。

《そして…》

やさしいけど、怖い、強いけど弱い…これに振り回されて、ついつい騙されるわけだが
ん?と思うところがいくつかある。
(ネタバレになるので、このあたりの考察はコメント欄頭の方の“レビューに書けない謎解剖室“のコメントをどうぞ)
本来“作り物“の小説を書く人気作家だが、夫のアイデアをちょろまかした件で太い亀裂が入っている。
ドイツ人で、夫とは英語圏のイギリスで出会い、裁判はフランス語で対応させられる。
裁判内で、夫と共有してきた英語でしゃべるところは大きなポイントである。

…少年が、保護官の女性に尋ねる
「どっちが正しいかわからない時は、どうすればいいの?」
彼女はキッパリと答える。
「覚悟を持って自分で決めるの」

この一言は迷いを断ち切れない少年に向けてのアドバイスだが、同時に観客に対しても、落下死の真実も、親子の行方も各々の心の中で見極めてもらえばいいというメッセージにもなっている。

ジュスティーヌ・トリエ、またフランスから気になる女性監督が出てきた。


◉コメント欄↓に
ここには書けない、
ネタバレ考察記事
『レビューに書けない謎の解剖室』
を勝手な注釈で
二次レビューしてます。↓↓↓

※コメントのトップの方にあります↓す
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