環境音がずっと聞こえていて。
その音でずっと不穏で。
幸せそうな家族の領域と、そのすぐそとにはアウシュビッツの銃声や悲鳴が聞こえている。
家族にとってはアウシュビッツの阿鼻叫喚は環境音でしかなく関心の外にある。ということを音だけで表現していて、それがヒリヒリと伝わってきた。
目の前の自分たちの生活にしか関心のない家族。
その外でおきているアウシュビッツ収容所での迫害は、隣の家の痴話喧嘩ぐらいにしか関心がないんだろう。
現代の私たちも同じようなものかもしれない。
インターネットが普及した現代でも、結局人は見たいものだけをみて見えるものにしか関心を持っていない。
すぐ隣でおきている何かでも、興味がなければ環境音になってしまう。
ラストの方のルドルフがいる建物と現代のアウシュビッツ強制収容所の記念館?とのシーンが切り替わるシーンが、関心の矛先の違いが浮き彫りになる。
まさに関心の領域の違いだ。
主題の描き方がとても面白かった。
映像の画角も面白いが好みではなかった。
斬新だが美しさを感じることはできなかった。