壁の先で行われている「狂気」に対して、無関心で居続けられるという「狂気」
夥しい数の犠牲の上に成り立っている暮らしに対して美しさを見出すこと。
その「幸福な」暮らしに耐えられない母と夫。
犠牲者の抵抗の声をいかにノイズとしてではなく「人の声」として聴き続けられるか、もちろん現在のガザにおけるジェノサイドと地続きの問題である。
何も知らない子どものように「温室」の中に閉じ込められたままで良いのか。
あの場面は強制的に収容所に入れられるメタファーのみではない。
しかし、人間の「熱」によって善意が悪に転じられる過程もスクリーンに映される。
トンネルの先にある地獄。
下降する過程で幻視する未来、吐き気。
我々は、今起こっている「地獄」に対して、未来から見るという想像力によって吐くことができるのか?