Darjeeling

関心領域のDarjeelingのレビュー・感想・評価

関心領域(2023年製作の映画)
4.0

ヘス一家の振る舞いや、絶えず響く銃声音、叫び声などについてはすでに触れられているためここでは割愛し、映画全体の構造をメタ的に考えてみようと思います。

まず印象に残っているのは、映画冒頭の映像表現です。映画が始まると、不気味な音楽と共に原題である「The Zone of Interest」が示され、この文字が時間をかけて段々と薄れていきます。黒い背景の上に映し出された白い文字列は、ゆっくりと背景の黒に同化していき、最後には、まるでそんなものは初めから無かったとでも言うかのように、完全に真っ黒な画面がただ映し出されます。私はこの点に、「関心領域」の本質を見ました。

初めは明確に意識されていた「関心領域」は、映画の中であったように、時間経過による慣れによって段々と意識されなくなっていきます。そして最後には、「関心領域」はその存在すら忘却され、人々の心の奥底の闇に同化してしまうのです。そしてこれは、映画を観に来た私たちに対しても、痛烈に機能します。初めは気になって仕方がなかった収容所からの銃声音、叫び声は、映画が進んでいくにつれて、段々と意識されなくなっていきました。本来グロテスクであるはずのそれらは、「関心領域」の外に追い出すことで、無意識に無視されていったのです。

セリフの少なさ、娯楽としては退屈なストーリー展開は、私たちの眠気を誘います。元々学びを得ようとやってきた受け身な観客たちは、本作が主体性(映画を観ていく中で、細かな表現に気をつけ、主体的にその意味を考えること)を要求することに気づかないまま、「つまらない映画」だったとし、この映画に批判を浴びせます。しかし、まさにここにこそ、監督の意図があるのではないでしょうか。つまり、意図的な無関心によって、すぐそこで起こっている悲惨な事態に目を背け続けたヘス一家と、それを「恐ろしい事態」だと言おうとする私たちとは、何もかもが同じなのではないか、と監督は言いたかったのではないでしょうか。悲惨な現状を「関心領域」から追いやろうとする点について、私たちに内省を促したかったのではないでしょうか。その意味において、本作はメタ的な映画だったと私は考えています。しかしその点に気づかなければ、本作はただの冗長な映画に成り下がってしまいます。それでもこうした内容で映画を作ろうとした製作陣の勇気と、その先見性に賛辞を贈りたいです。
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