猫そぎチャンスペロッテ

瞳をとじての猫そぎチャンスペロッテのレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.7
2023年スペイン
監督/ ビクトル・エリセ
出演/ マノロ・ソロ(監督ミゲロ)/ ホセ・コロナド(フリオ/ガルデル)/ アナ・トレント(アナ,アレナス)

『瞳をとじて』は、ビクトル・エリセ監督にとって、長編1作目の『ミツバチのささやき』(1973年)から数えて50年後にあたる新作で、、当時はフランコ(1975年死去)政権下で撮られたため、フランコの爪痕の深さを、そこかしこに感じさせたが、この『瞳をとじて』に関してそれは無く、、エリセ監督の人生観が色濃く滲んだものとして製作されている、、(タブンダケレド❗)


1作目『ミツバチのささやき』の主役アナが、姉のイザベルから、あの怪物(フランケンシュタイン)は精霊で、『目を閉じて、“私はアナよ”と呼びかければいつでも会える』と可愛い嘘をつかれ、、アナはそれを信じて窓辺で(瞳を閉じて)『私はアナよ』と呼び掛けた、、(ナツカシイ❗)

そのアナ役のアナ・トレントが新作『瞳をとじて』にもフリオの娘役で出演している、、(スバラシイコト💕)

とても長い時間を経て製作された新たな作品は、できる限り丁寧に二つの主題を基に描いているようだ (シランケド‼️)

ひとつはアナの父親で、彼が主演した未完の映画『別れのまなざし』の完成前(1990年)に、突然失踪(?)したフリオ・アルナスの人生で、そこにあるはずだった人生を捜すという手法で描かれている、、、
もうひとつは、不確かな世界でさまよいながら、今まさに生きているミゲルの人生だが、、それは「人生とは何か?」と問いかけられた答え探しのようで、、フリオの捜索をとおして彼の過去と人生に向き合うという手法だ、、

その密接に繋がっている二つのテーマは、冒頭と結末に使われる断片的な劇中映画『別れのまなざし』の邸宅の片隅にある像、《過去と未来を見つめる時間の神ヤヌス》が象徴している、、


ミゲルの過去と未来の人生には、ロラとの会話が重要で、かつてロラに贈った著書に添えた“あてがき”を見つけた話、そして想い出の歌をロラが思い出して歌う場面は、どちらも記憶を探りながらたどり着いた貴重なシーンでした、

「本当の場所を持つこと」その場所ってミゲルの住みかで、カサ(犬)と暮らす海辺の家なのか、、隣人一家がとても好感のもてる家族で、なんてのどかな場面を撮ったのだろうか?と思ったが、、
マックスとの会話で、ミゲルの息子が交通事故で亡くなった事実を知って、このシーンの大切さが分かった、、
一緒に食事し、歌い、漁に出るのだが、このシーンの大切さが身に染みてくる、

ここではミゲルの家路への旅を綴っているのかと、これも過去から未来に続く物語だ、、悲しい話であるが今はそれでよかったとも思える、、
船上で帽子をかぶったカサ(犬)が可愛い💕


そして失踪したフリオの人生は女性との遍歴の噂も多くて、私生活に問題があり、アナの話からは家庭を大切にしていなかったようだが、、
また、彼がセリフを憶えられなくなったのが、そもそもの失踪の原因ではと語られるのだが、真相は分からない、、

その後、突然消息の見つかったフリオの病状は「逆行性健忘症」だった、、人生の全てではないが、ある方法で記憶を呼び戻すことができるのではと、ミゲルは考えた、、、

一方アナは ━━ 父フリオとの思い出に、父と旅行もしたことがなかったのだと、
アナは、父との想い出の共有を半ば諦めかけたが、ミゲルの強い説得により最後の望みにかけた、、

そして、未完の映画のラストシーンが、既に営業を止めた映画館で上映された、、、



「ミスター・レヴィ」の生き別れた娘ジュディス(14才)があるポーズをする、、扇子を使って瞳を強調する〈上海ジェスチャー〉は美しく、その瞳がとてつもなく美しかった、、、その未完の映画の上映に主人公たちは深く魅いられるのだが・・・