鹿江光

アポカリプトの鹿江光のレビュー・感想・評価

アポカリプト(2006年製作の映画)
3.2
≪65点≫:文明の狭間を奔走する。
時代は変化する。人々にとって必要とされるものは、より便利な形となって残り、古いものは上書きされ、塗り替えられ、廃れていく。様々な物に溢れかえった現代であれば、「時代が変化する」ことはわざわざ考えなくとも、感覚として理解していることだ。しかし、太陽に神の姿を見出していた時代、自然の中で生きることだけを考えていた者たちにとって、今居る自分たちの世界が移り行くことなどは、容易に想像できるものではないだろう。
本作では、文明が文明に喰われていく過程が、とてつもない疾走感で描かれている。「自然に生きる者」と「社会に生きる者」が対立し、それぞれの誇りを賭けて闘っていく。緊張と興奮がピークに達したとき、忘れかけていたラストが唐突に訪れる。力強く、そしてあっけなく彼らの文明は終焉を迎える。
話の大きな軸を握るのは、「マヤ文明」だ。創造神ククルカンに生贄を捧げるシーンは生々しく、圧巻である。ただそこには異常性を感じられず、社会のひとつの仕組みとして観ることができる。ホラーの中には、「未開の地に入ったら原住民の儀式に巻き込まれました」的なカニバリズム映画もあるが、それはあくまでも現代という文明の視点から観ているから、「酷いことするなぁこのスッポンポンな人たちは」と思うわけだが、本作にはそのような作用が起きない。生々しくても、「そうするべきなのかもしれない」と理解してしまう。
それにしてもマヤ語、何を言っているのかさっぱり分からん。あと、泥を纏ってからの主人公がとてつもなくカッコ良い。考古学的な信仰のメッセージ性が隠されていそうで、深堀すればもっと味のある面白い作品になるのかもしれない。専門の学者とかと一緒に観ながら、解説とかしてもらいたいなぁ。
鹿江光

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