ゑぎ

贅沢は素敵だのゑぎのレビュー・感想・評価

贅沢は素敵だ(1952年製作の映画)
4.0
 舞台はプラハだが、ロケはウィーンでされたと字幕が出る。クレジットバックはアニメーション。20世紀になって支配層が変転した様子を、役所の中の肖像画、あるいは官憲のユニフォームと敬礼の違い(変化)で簡潔に見せる。例えば1939年はナチスドイツによる支配。現在(1950年代当時)はスターリンの圧政下だ。脚立に乗って肖像画を変える男性は、45年同じ仕事をしている、下は変わらない、上はすぐ変わるが、とヒロインのアナ-ヴィヴェカ・リンドフォースに云う。

 アナ-リンドフォースは大臣室に呼ばれるが、部屋には大臣と若い男性-ポール・クリスチャンがいる。ワシントンD.C.から戻った役人のカール。アナはカールの秘書に任命される。続いてアナはオフィスで鉛筆削り。カールは米国から電動シャープナーを持って帰っており、アナは感激する。また、口紅やドレスのプレゼント。カールは、姪へのお土産のドレスだが、姪が太ったので着られなくなった、もらってくれないかと云う。しかしアナは固辞する。カールは窓から通りを見て、太った女性ばかりだと云う。画面は俯瞰ショットで通りを歩く女性を軽くズームイン。ジャガイモばかり食べてるからだ(糖質は太るということか)、これだから、社会主義は嫌だ!この発言に、アナは驚く。大臣室に飛び込んで、あの人の秘書を辞めさせてください!資本主義にかぶれている上、女性蔑視発言まで!とアナは報告するのだ。

 次に、路地のゴミ箱に隠れている少年。隠れんぼ。捜す子供らを右へパンして見せ、ショット内にアナが入り、そのまゝ、屋外から窓越しにアナの家の様子を見せる。後の場面で、アナに気がある男性クーデルカがやって来るシーンでも、窓外からのショットが反復される。屋内の音が聞こえない、音無しの(パントマイム)演出だ。こういう才気走った演出もシーゲルらしさだと思う。

 ゴミ箱の中にいた子供はアナの弟。お父さんが友人に電話をする時、いちいち最初に、スターリン万歳!と云う(云わなければ怖いのだ)。こういう、何かにケチをつけられて、すぐに逮捕されるかも知れない状況の揶揄が連続する。それだけに、冒頭のカールの資本主義賛美発言が観客にも気になってくる。また、アナは、夕食のジャガイモを一個だけにする(いつもはもっと食べる)という描写もクスっとさせる。そして、アナに気があるクーデルカの訪問。ニシンの瓶詰めをプレゼントする際、「今は花の時では(ない)」と云う。これは本作の原題だが、以降も何度かこの科白を云う。アナがロシア語を勉強している、という話で、お父さんが、シベリアに流されても看守と会話できる、と云う、こういうジョークがいちいち面白いのだ。そう、書くのが遅くなったが、本作はコメディとしてとても良く出来ている。それは、ジョークが面白いということもあるが、プロット展開の中でのツイスト(プロットのひねり)が良く出来ているからだ。詳述するとネタバレになるので、簡単に書いておくと、プロットは、アナが秘密警察から指示を受けて、カールを監視するという展開になり、この時点でもかなりワクワクするのだが、本当はそうじゃなかった、というツイストが上手いのだ。そんな中で、もちろん、アナとカールは恋に落ちる。

 さて、良い場面を挙げておこう。まずは、当時シーゲル夫人だったリンドフォースがとても魅力的に撮られている場面として、ゴージャスなドレスを着て、レストランでカールとダンスするシーンがあるだろう。これは劇中、周り(他の客)の目を引く場面だが、もちろん私も首肯する。あと、カールの部屋での、ナイロンストッキングと泡風呂騒動の場面もいい造型だ。また、リンドフォース以外では、カールの部屋がある建物周辺、前の道などの見せ方が上手いと思った。カールの家の近くだと、すぐに分る演出。

 といった具合で、かなり良く出来た映画だし、シーゲルのコメディの才も示した重要な作品であるとも思うのだが、惜しむらくは、終盤があまりに性急な展開であることか。いや、スピーディな展開であることは悪いことではないのだが、エンディングへ至るシーケンスには、見せるべきモノが、何か欠落している感覚が残る。
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