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コンサート・フォー・ジョージのyadokariのレビュー・感想・評価

4.1
ジョージ・ハリスンの半分はエリック・クラプトンで出来ていると思うほど、クラプトンとは義兄弟的なジョージ・ハリスンだった。ビートルズのなかではポールの弟分的で存在感も薄かった感じだがクラプトンと知り合ってから三角関係になったりして、返って男の友情は深まり、最近ちょっと読んだイヴ・K・セジウィック『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―』に当てはまるかもと後から思うのだった。

ビートルズがイギリスの労働者階級出身という4人の男たち。その4人はすごくバランスが良かったのだと思う。ただ小野・ヨーコという女やエリック・クラプトンという他者が現れるまでは。ジョージ・ハリスンはその中でも表には出ようとしないプレーヤーだったのだが、エリック・クラプトンという天才的ギタープレーヤーの影武者が現れたということなのか?

もう「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の泣きのギター姿のクラプトンで十分だと思えたのだが、この曲がオープニングではなくラスト近くまで留めて置いたのはそれなりに理由があってのことなのか?オープニングでいきなりギアをトップに入れてもらいたかったと思ったが、やはりそこがジョージ・ハリスンなのかなとも思った。

特定のグループや個人のコンサートではないのでごった煮の面白さ、「モンティ・パイソン」が参加したのはビートルズ解散でお茶の間の人気ものになったとか。これはドリフの前座みたいなものだったのかなとも思える。

その大衆性とラヴィ・シャンカールのインド音楽との繋がり。当時はロックの世界だけではなくジャズの世界でもインド音楽の影響下にあった。ベトナム戦争とヒッピー文化というような。その頃からジョージ・ハリスンも自己主張的になってきたような。すでに大人しいポールの弟分ではなかったのだ。その頃からビートルズ意外の音楽仲間の繋がり、もちろんその中心はクラプトンなのだが。

映画としては音楽がぶつ切りで解説のインタビューがうざいという感じがしないでもないが、純粋に音楽だけを聴きたいのならばCDが出ている。映画としての役割はジョージ・ハリスンというミュージシャンをビートルズ意外の音楽仲間もいたのだということ。それでもリンゴ&ポールの存在感の大きさ。ジョン・レノンがいればビートルズ再結成メンバーではないかと思って、息子でも呼べばいいのにと思ったのだが、オノ・ヨーコの母ちゃんがうるさそうだしといろいろ想像してしまうコンサートだった。

音楽映画は楽しいに決まっているが、とくにこういうスター級が揃うとコンサートはいい。ラビ・シャンカールは直接は演奏しなかったのだが、娘だろうか?インド音楽のクラシックとも違うロックでもないあり方が面白かった。ある部分、彼岸映画に相応しい映画だったかも。
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