【I Will Always Love You】
「アイアンクロー」、「パスト・ライブズ」に続いて「プリシラ」とA24の良作が続いてるなあと思う。
5月には「関心領域」も待っている。
最近「アメリカン・フィクション」を観たばかりだから言うわけではないけれども、変な話、「プリシラ」はプリシラ・プレスリーだから映画化が受け入れられた作品じゃないかと思う。
もし、これがフィクションだったら、ルッキズムだといってケイリー・スピーニーやジェイコブ・エルロイのキャスティングには批判があったかもしれないし、人種的な問題も提起されるようなことになっていたかもしれないなんて考える。
余談はこれくらいにして、「プリシラ」は彼女のパーソナル・ヒストリーというより、少女が大人になる過程で経験する様々な揺らぎをプリシラ、更に、多くの女性が辿ったはずの少女時代や、大人になる過程での視点から、揺らぎや変化を描こうとした作品じゃないかと思う。
まもなく「ピクニックatハンギングロック」がリバイバル公開されるようだけれども、これは少女が大人になる過程で経験する葛藤も含めた揺らぎをとても暗示的に描いた作品だ。
しかし「プリシラ」は、これとは違いもっとリアルだ。
そして、そこが重要なのだと思う。
また、ソフィア・コッポラらしいストレートな表現で、過剰に心情を考察したり、理解したような演出を避けているところは、多くの女性にとって余白となって共感されるところじゃないか。
こうした演出は、「ロスト・イン・トランスレーション」から同じで、「ロスト・イン・トランスレーション」は一部で日本人をバカにしてるように感じるとの批判はあったが、そこで描かれたテーマは他の国でも同様にあって、多くの共感を得ていたように思う。
そして、ケイリー・スピーニー演じるプリシラが歌う「I Will Always Love You」を最後に持ってくるのは、ソフィア・コッポラならではというか、かなりグッとくる演出だ。
この曲は、ホィットニー・ヒューストンが映画「ボディガード」でカバーして、大ヒットしたが、実は、エルヴィス・プレスリーも前にカバーしようとしたことがあってのだ。
しかし、”大佐(映画の中でもちょいちょい登場する)”の傲慢な態度がたたって、ドリー・バートンに取りつく島もなく断られてしまったというエピソードがある。
ただ、そんな経緯とエルヴィスと別れることになったことから、この歌を最後の場面に持ってきたのではなくて、おそらく、ソフィア・コッポラは、世代を超えて耳にし、口ずさむことが出来るであろうこの曲をケイリー・スピーニーがたどたどしく歌うことによって、若い女性が抱くスターに対する恋心や、恋愛そのものに対する憧れ、そして、葛藤や破局、過去の思い出になったことも皆、年代も問わず同じものなんじゃないかと伝えようとしているんじゃないかと思うのだ。
それに、髪を黒く染め、きっついメイクをする前のケイリーは、ルッキズムで批判をする人もいるのかもしれないが、現代でもこんな感じの少女は沢山いると思わせるような所謂カワイイ感じだ。変な話、人種は違っても雰囲気だけだったら日本にもいそうな感じだと思う。
そんなキャスティングもよく考えられた結果だと思う。
映画については、ジェイコブ・エルロイも世の中の女性の注目だ。
そして、プレスリーは結構紳士だとか、やっぱり薬物に依存する兆候は前からあったんだとかコメントする人も多いと思う。
是非、当時のエンターテイメントの一端を覗き見るつもりで、ノスタルジーと時代を超えて共感されるであろう少女の恋心を感じてみてください。