相模原でかの事件が起きた時、とんでもないサイコパスがいるもんだと思っていた。常人にはとうてい理解できない狂人の仕業だと。
しかしこの映画でさとくんは狂ってなんていなかった。純粋な善意だった。彼が彼なりに導き出した解だった。見て見ぬふり、いや、目を向けすらしなかった自分はどうだ?見て何かしたか?問いは観客である私にも、逃がさないとでも言うように解を迫ってくる。
コスパの悪いものは抹殺される社会。出生前診断により多数が中絶を選択する揺るぎない事実。表沙汰にするのは憚られるが、皆が口にせずとも思っていること。洋子が2人の自分と問答する場面で抉られた。
映画を見た後は、さとくんを手放しで責めることは出来なくなっていた。その思想を持つことになったのはもしかしたら自分だったかもしれないと。誰かがやらねばと。
社会のせいだなんてありきたりの着地では、許してくれない。それでお前はどうなんだ?と迫ってくる。強制的に考えて答えを出さざるを得ない。
障害者だけじゃない。高齢者、精神病患者、末期患者、安楽死制度等。自分ごととしていくらでも想像はつく。それを救いに思う当事者もいるかもしれない。
強制的に考える機会を与えられる映画だった。見て何かしたか?ずっとそのことが離れない。