このレビューはネタバレを含みます
定点の広角から映し出される、被写体の繰り返しの生活リズム。だるまさんが転んだの動きの静止と自然の動きの遅さが重ねられるのもきれい。
上流に住む人の積立が下流の人の水を汚す。
グランピング開発も住民から見れば悪、しかし実際は当人たちの意思ではない。人間社会も上流から下流へ自分の意思とは裏腹に、汚れたものが流れている。
車内の会話の、鹿は決して襲わない。傷を負った鹿か、その親か。
グランピングで追いやられた鹿はどこへ行くのか?
人間も同じく、生命を脅かされる時牙を向く。
結局、誰が悪で誰が悪でないのか。
悪は存在しないのではない。巧も自然を犯して暮らしているのであり、事業者も巧たちにとっては大きな悪。ただその度合いが大事。悪であることに自覚的な巧と、それに気づき始める事業者。
人と傷を負った鹿の関係が、巧の均衡、共存を取るための決断に投影される。