Kachi

DOGMAN ドッグマンのKachiのレビュー・感想・評価

DOGMAN ドッグマン(2023年製作の映画)
4.8
自由意志を正面から考えさせる作品

<あらすじ the klock workのサイトより>
ある夜、警察に止められた一台のトラック。運転席には負傷し、女装をした男。荷台には十数匹の犬。“ドッグマン”と呼ばれるその男は、半生を語り始めた―。
犬小屋で育てられ暴力が全てだった少年時代。トラウマを抱えながらも、犬たちに救われ成長していく中で恋をし、世間に馴染もうとするが、人に裏切られ、苦しめられ、深く傷ついていく。
犬たちの愛に何度も助けられてきた男は、絶望的な人生を受け入れ、生きていくため、犬たちと共に犯罪に手を染めてゆくが、“死刑執行人”と呼ばれるギャングに目を付けられ―

<コメント>
構成の面白さ、隙のなさもさることながら、扱っているテーマの重さが伝わる作品。

本作を観ながら考えていたのは自由意志。ダグラス(ドッグマン)の生涯は、〈檻〉を転々としながら進む。

初めは家族という檻、次は養護施設、その次は州の施設(犬の保護をするための)、そして廃墟を経て留置所に至る。産まれた時点で、いわゆる一般的な社会から外れてしまったダグラスは、自分の意思とは無関係に仕方がなく、そして当て所なく流浪させられている。檻から檻へと。(少なくとも、自意識としてはそう思っている)

それぞれの檻の移動を振り返りたい。

家族(犬小屋)→養護施設
・神の存在を疑う。
・GOD→DOGを悟る。
・犬のお陰で脱出に成功。
・健康な身体を失う。

養護施設→州の施設(ただここに至るまでの詳細は割愛されている)
・サルマと出会い、演劇を知る。
・人を信じ、愛する喜びを知る。
・勉学に努めて、学位を得る。

州の施設→廃墟
・社会からの疎外を感じる。
・孤立を極めていく。
・自己と人間社会の最後の繋がりであったサルマの結婚・妊娠を知り、自分の境遇を恨む。
・自尊心を失う。

廃墟→留置所
・世の不平等、神の不在を恨み、神の思し召しによって自分の元にいる犬たちと世直しという名の復讐に明け暮れる
・サルマから受け取った演劇の才覚で辛うじて社会との繋がりを保つ
・一連の行いが発覚し、自己の生存が脅かされる。

留置所→ラスト
・精神科医のエブリンとの邂逅、自己開示。
・会話を通じた自由意志の自覚。
・死に際を自ら決める。

エブリンは、私たち観客とある意味同じ立場にある。ダグラスの見た目に疑いの目を向けるも、彼の同情すべきその境遇に寄り添い、ことの一部始終を聴き出す。彼女は、極めて優れた聴き手であり、ダグラスと同根でもある(明示はされないが、元夫との関係の檻からの脱出の最中であり、家族のせいで傷を負っている)

自然な流れで出てくるテーマは
・出生時点での名状し難い格差
・持つ者と持たざる者の克服し得ない格差
・キリスト教的神の不在
・そして、自由意志

一つ一つを切り口に幾らでも話せてしまう面白さが本作にはあるため、再鑑賞した折には批評的な文章を紡ぎたい。

最後に檻から出られたはずのダグラスは、自由という名の監獄に入ってしまったのか?いや、きっと彼は彼なりの意志で自分の死に場を決めてこの世の不条理の一端を受け入れたのではないか。磔刑の処されたイエスを模して、彼は彼の信じる神(DOG)に見守られながら、天へと召されて行った。

そしてエブリンは、彼が遣わしたマリア(黒い犬)を見て事の顛末を悟ったのではないか…?
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