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利休のsarのレビュー・感想・評価

利休(1989年製作の映画)
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作品そのものが芸術であり安土桃山時代の美を体現したような日本文化の根源による映像美。秀吉にこれを活けてみよと言われ渡された水の入った広い鉢と梅の木。常軌を逸したその梅の活け方。秀吉は感嘆しながらもこの梅の姿は自分に対する冒涜だと激しく怒り嫉妬する。秀長の死をきっかけに壊れていく秀吉と見放し死を受け入れる利休という描かれ方はありきたりで王道なのだが、各々の会話はまるで本当に繰り広げていた会話の情景を見ているようで、特に寧々の方と秀吉の会話の様子からはこの方は実際秀吉を母の様に包んでいたんだろうなとしみじみと感じた。茶々のように美貌や若さがある訳ではないが、それを超える人としての温かさや厚み、そして秀吉への愛情が確かにある。それをこの作品を通して垣間見れて嬉しかった。

⚠︎以下史実だがネタバレと感じる方もいるかも

何故最期まで秀吉と和解する事なく自ら死を選んだのかという他人による理由付けは愚行だし勝手に憶測しあたかも真実であるかのように語るのは失礼にあたるが、どうしても利休にとって宗二の死はかなり大きかったんだろうなと考えてしまう。自分が秀吉を信じて会わせた結果耳と鼻を削がれた上打首となった一番の愛弟子の姿を見た時の利休の心境は如何ばかりか。利休が宗二と秀吉の面会を仲裁しなければ宗二が死ぬ事はなかったと詰め寄られた時の利休の心の内は推し量る事はできない。甲冑に身を包んだ無骨な武将に囲まれながら1人茶人帽と道服を身に纏った利休の姿はどこか異様で、この人はこの残酷な時代の中心にいながら1人の茶人として天寿を全うしたのだなと感じた。
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