利休の作品情報・感想・評価

「利休」に投稿された感想・評価

NOOO000ooo

NOOO000oooの感想・評価

4.5
世界をバックパッカーしてきた人が言うところの世界から見たニッポンであったり、行き過ぎた資本主義社会やモダニズム、あるいは秀吉イズムの対比としてあるのは利休を象徴として描かれる日本人のDNAに刻まれた「侘び寂び」あるいは「wabi-sabi」なのだと感じる。
多くの方がレビューされている通り、ジャケにある秀吉が用意した器に梅を生ける利休のそれだけでも見る価値十分な侘び寂びがあり、世界を放浪して探した自分も、人生を何周かしてとりあえず行き着く答えも、映画を深く放浪してアウトプットするレビューも、つまりは全てを自分のフィルターで濾した後に残る「侘び寂び」こそが真理なのだと思える作品であり、そしてお茶漬けこそベストミールであり、畳が消えていく日本人のスタイリッシュは嘆かわしいのだけど我が家にも畳はないというゆらぎがあった。
ばたこ

ばたこの感想・評価

3.9
木下藤吉郎、羽柴秀吉、豊臣秀吉、太閤秀吉。改名するに従って、富や名声、権力を得る訳だが、それに反比例して心を失ってるように見える。利休の本意を理解せず、感情に任せて、彼を処刑した事が、豊臣政権の終わりの始まりだったと思う。

個人的に秀吉は偉人ではなく、不幸にならないための反面教師。常に勝とうとする人間は、地位を得ても、心が満たされない。保身のため、四六時中隙を見せまいと疑心暗鬼になり、心は落ち着かない。勝つ事自体は悪い事ではないけど、それを目的に据えてはいけない。自分なりに精一杯取り組んだ結果が勝ち負けとしてが現れる。人を蹴落とすのではなく、自分の限界を蹴り上げてく、そんな考え方で生きていきたい。

史実に基づき、安土桃山時代や千利休の半生が忠実に再現されていて、とても勉強になる。茶道の事は詳しく知らないけど、なんとなく美しいなぁと思った。教養人の嗜みとして敷居が高いイメージがあるが、機会があればやってみたい。
前半部分、とことん可愛らしい人と描かれた秀吉が後半、じとりと狂人じみていくのが印象的。
利休の世界を見ることもできず、自分(秀吉)の世界を分かち合ってくれる者もいない。あの場所で、百姓から天下人になったのは秀吉ただ一人。さぞ、寂しかったろうに
エピソードが盛りだくさん。花も着物も竹林も、山口小夜子も三田佳子も美しかったなぁ
櫻

櫻の感想・評価

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ここは戦場、忙しなく移りゆく時代。ぎらぎらと分かりやすく金に輝くものを好む秀吉に仕える反面、極限まで無駄を削り、静寂の中にこそ美を見出した利休の目には、この世界はどう見えていたのだろうか。諸行無常でただ儚いこの世だからこそ、花は散りゆく様が、人は去りゆく様が一等美しい。そのことを最もよく理解していたのは、他でもない利休だったのだと思う。美術も音楽も俳優陣も申し分ない、最高。

このレビューはネタバレを含みます

大好きな勅使河原宏監督、大好きな赤瀬川原平脚本ということで喜び勇んで鑑賞。
「他人の顔」や「砂の女」ほどの実験的な画ではないけれど、やはり最後の利休自決シーンの演出(蠢く竹林の中、ゆっくりと闇に消えてゆく)などは観ていて惚れ惚れとしてしまった。

キャストも申し分なく、特に岸田今日子の含み笑い、山口小夜子の妖艶な仕草にはたまらないものがある...
長谷川等伯役には芸術家の元永定正。カメオ出演として勅使河原宏監督も登場。

そんな豪華なキャスティングの中、着物や茶器(国宝級の実物)といった小道具までもが一々美しい。
劇中の生花がカッコいいなあと思ったら勅使河原宏自身が生けたのか...というかこの人、「個性」を第一に重んずる草月流の家元だったのか...震える。

秀吉が持参した梅の枝を、利休が死骸のように生けてみせるシーンが好き。
TSUTAYAで100円。気分はゴージャス。茶器類はホンモノも使用しているらしい。映像美ナイス。
寿都

寿都の感想・評価

4.8
テレビの大河ドラマなんかより、過激で重くてハマった!外国人に見せたら喜びそう。山崎努の秀吉が面白すぎるのでみんなに見ていただきたいイチオシ作品。山口小夜子の棒読み茶々姫も見れる。

茶の湯が懇親の場であったことは分かるが上流武士の嗜みであったこと、茶道と利休がこれほど権力者に重要視されていたことは知らなかった。と言うか何も知らなかった。わたし茶道部だったのに。
高潔な精神を曲げなかったために殺されたわけだけど(有名な話なのでネタバレ御免)、そもそも!なぜ利休が最も嫌いそうな成金趣味の秀吉に仕えて媚びていたのかが矛盾していて、釈然としない。最初はこんな奴だと思わなかった、人を見る目がなかったということだろうか。バカな秀吉とスマートな家康という描かれ方だった。
天下まで取る男が激しい芸術家コンプレックスであったケースは、ヒトラーと秀吉くらいなのではないか。それとも珍しくないことなのか。

「権力者と芸術家・文化人」の愛憎・確執というストーリーが面白いわけだけど、その芸術が茶道であることが日本の極めて興味深い点だ。
茶道ほど目的のはっきりしない文化は、この世で他にないのではないかと思う。コンセプチュアルアートなのですか?と言いたくなるほどだ。他の◯◯道と比べれば、技術的な習得、お点前自体はそれほど難しいものではないと思うし(怒らないで)「型」と言うほどのものか?と思ってる(言ってしまった)。中国のすごく長い急須でお茶を入れるアレ(名称不明)の方が茶道って感じがするw 利き茶をするわけでもなく、味・香りについて言及しないのも面白い。お茶がメインであってメインではない。哲学。空間作り。小宇宙。道楽。「名器名物をコレクションしつつも、インテリアに拘りながらも、それに囚われるな。いちばん大切なことは精神の豊かさだ。」と言うのも当たり前のことだ。当たり前のことが大切。尚且つ「わかりやすさ」を求めるのは無粋であると言われてる気もする。はっきりしないから「奥深い」で片付けられがち。

この映画のような本元の茶道、静かな世界には憧れる。現代の茶道界には、偏見もあるが、魅力がない。侘びではないし組織に所属したくないし、茶の湯でまで女らしさを求められたくないね。お金持ちになって自宅で…。
豪華な小道具や役者陣によって重厚感はあるが、利休の感情の揺れ動きを表現できているとは言い難い。利休自身が喋らない人間であるが故、秀吉との対立関係を構図や仕草で強調しなくてはならない。史実を追うだけの、叙事詩となった。
美は揺るがない、筈ですが・・?勅使河原宏「利休」

公開当時は観ておりません。数年後に観ましたが最後まで観たかどうかさえ覚えておりませんでした。

今観て「こんな人が出ている?」とこちらの目が揺るぎました。勅使河原宏監督ご本人からドナルド・リチ―、細川護熙元首相まで。

私は美術品の審美眼は皆無ですが劇中登場する生け花は勅使河原監督ご本人作でさらに実際に撮影には国宝級の美術品が使用されたらしく私の勝手な予想ですが警備員常駐の異様な撮影現場だったに違いありません。

そんな現場で三國連太郎さんでさえ緊張のあまり何度かNGを出し不協和音に絶えなかった、と想像できます。

公開時のキャッチコピーの「美は揺るがない」でしたがそれどころか内実は揺るぎっぱなし。思うに美を人間に仕えさせようとしたわけでなく、人間を美に仕えさせようとした、そんな映画だったかも。

勅使河原監督の「砂の女」は個人的に大好きな作品ですが「他人の顔」や「燃えつきた地図」にはどこか柳の下の泥鰌狙いを感じていた理由が今何となく明白になりました。

とにかく厄介なのが「映画も好きな芸術家」という輩。
勅使河原監督もそんな一人だったかもしれません
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