まぬままおま

4日間 FOUR DAYS, TOKIOのまぬままおまのネタバレレビュー・内容・結末

4日間 FOUR DAYS, TOKIO(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

ドストエフスキーの「ド」の字もなかった。

コロナ禍、マスク警察、土人といった差別発言、戦争、テロリズム。
現代日本にある社会問題を描こうとしつつも、表現の「自粛」のために架空の〈ニホン〉を舞台にして逃げる始末。どこからどうみても日本でしかない。

本作は女がリョウという男を捜しに島から東京へやってきて、別の男と出会うといった反転したボーイ・ミーツ・ガール作品である。

けれど女がどんな人で、なんで必死に別の男と共にリョウを捜すのか全く分からない。マスクをしていて顔もよく分からないから名前も忘れたー調べる気にもならないー。彼らの捜索は終始、会話劇に留まってしかも時事問題風の雑談をしているだけ。誰だかよく分からない人たちのお散歩映画にしかみえない。

しかも女と別の男は、意味ありげにみえつつもなぜだかセックスする。こういう結末になるの本当にやめてほしい。リョウは捜せていないし、心を通じ合わせたわけでもないからー女の顔はひきつっているし、心を通じ合わせた描写としてセックスを採用するのは通俗的だー全く意味が分からない。ただこういう描写に結実するのは、マスクをした誰だか分からない他人同士が、会話を通して素顔を明らかにしたつもりだからと思う。でも全く納得できない。
それも不在の語り方と撮り方が酷いからだと思う。
彼らは終始、リョウという不在の者を語る。けれどリョウについて想像可能な情報もイメージも全くないから、観客は全く分からないし知ろうという気にもならない。島についても同様だ。島は彼岸であり、かつ理想郷としてあることが物語終盤で語られるが、それまでの描写では全く分からない。

撮り方も引きの画が多すぎる。本作は捜索をするのだから、真相に近づけば近づくほど人物や事象に寄っていくべきでしょう。けれど終始、開けっ広げな屋外で物語は進展するし、屋内は第三者が映るような広い画になっている。大事なシークエンスもロケ地は廃校舎とプールだ。全く真相に迫った感じがしないし、語られる真相らしきものは引きの画で霧散する。

ただ本作の「空気」は、コロナ禍/後を生きる監督の心象風景なんだと思う。別に若くもないから、彼らのように誰かを必死に探すことは必要ないし、意味も感じてない。島という理想郷はあるけれど、素朴な国家ということもできなければグローバルな社会とも何か違う。違うのは分かるが、では何かと言われれば分からないから彼岸という死のイメージを付与する。

そう描きたいことも想像の限界も分かるけど、私はちゃんと島に着きたいのである。島に辿りつくためにヒントは得ました。引きの画を好んでしまう私だが、それだけではダメな理由が分かったし、物語のジャンルと撮り方の連係がどれだけ大切かよく分かりました。

追記
女と別の男が出会うシーンが酷すぎる。女がマスク警察らしきおじいさんに絡まれるのを別の男が救い出すことで彼らは出会う。それを引きの画で撮っているのだが、映っているのはおじいさんに絡まれる女を通行人が気にかける仕草だ。それによってショットに「彼らが出会う」といった意味は失われ、「通行人が女を心配する」という物語の本筋から離れる別の意味が生み出されてしまっている。それでは物語に誤解の余地が生まれてしまうし、よく分からなくなってしまう。