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うってつけの日のmのネタバレレビュー・内容・結末

うってつけの日(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

車の顔を見送るショットという極めて重要な別れが描けていなかったことが非常に残念。

何故、車の外観をあまり撮らなかったのか、ということについてQ&Aでも触れられていて、確か、外観に執着して彼女がこの赤い車に愛着を持っていると捉えられたくなかったと答えていたように記憶しているが、それは全く見当違いだったんじゃないかと思った。(もちろんあそこで言ったことは本心ではないかもしれないし、ついて出た言葉かもしれないが)

監督の私的な体験を元に、車の乗り心地、包まれている感覚を重要視しながら、彼女と車は移動を続けるわけだが、果たして"乗り心地"は車内を映すことで現れるものなのだろうか?
中身を語るには外側を語ることは必須なわけで、それはもちろんこの作品が体現しているように、主役の男女の微妙な関係を描くため、結婚をして子供まで生まれた友人夫婦を相対的に描く必要があったことと、全く同じケースだと感じる。
非常にコンパクトな制作体制だったのにも関わらず、ここまで見事なカメラのポジショニング・ワークはひとえにカメラマンが素晴らしいとしか言えないのだけども、やはりそれでも、あの赤い車に乗っている主人公を、客観的に捉えるショット、それも並走などをしてガラス越しに視認できるようなショットが必要だった。
それはきっと、車を譲り受けられるのかどうか、巧妙な駆け引きを経たあとの、タクシーのガラス越しに遠ざかっていく、男の実家にある赤い車がこちらを見ているように見えるショットを際立たせたはず。
観客である私たちは、どれだけ彼女のアップショットを見つめようが、彼女にはなりようがない。あくまで客観を通して主観を体験する他ない。彼女があの赤い車に包まれて走っているという客観的なイメージが、あの、切り返しのような車の表情を切なく思わせる。

赤い車には無かった、タクシーで現れるカメラの揺れ、ハイエースで感じるカメラ・身体の揺れは並列的には赤い車との差異を連想させるし、変化を想像させる。
そして絶妙に、主役の男女の呪縛を解き放つシーンは見事だった。
その後、半ば蛇足的に現場へ向かうシーンがあり、そこでは車に運ばれて移動するのではなく、彼女自身の足で赴き、他人が運ぶ車で移動する。
この着地点からするに、やはり彼女が包まれている、運ばれているという客観ショットは重要だったのだと思う。

ただ終始、品のよく過不足のない演出で、密度を感じさせる構成だった。とても上手。
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