SatoshiFujiwara

コンテイジョンのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

コンテイジョン(2011年製作の映画)
3.6
今これを観るのもどうなんだろうと思わないでもないが、まあ現実は現実、フィクションはフィクションですからね(ちなみに某レンタルショップでは普段は1本しか置いてないであろう本作がブルーレイ含めガッツリ複数本数面出し陳列してあったが、さすがに説明やら「オススメ」のキャプションはなかった。そんなもの付けたら馬鹿から「不謹慎だ」とか文句が来るだろうし)。

9.11のアメリカ同時多発テロ、あるいは3.11の東日本大震災の後でアートの実作家あるいは批評に携わる人々が口々に言ったのは「現実がフィクションを超えてしまった」という言葉だ。しかし本作について言えばそのストーリー展開は新型コロナウィルスによる感染の実態=死者数及び各種混乱状況よりも遥かに凄まじい描写がなされる(言うまでもないが、あくまで映画が表象する部分とそれに対応したコロナウィルスに付随する様相の実際にマスメディアで流通されている「見え易い」現象のみで言っている)。

とは言え、もっとドラマタイズされたフィクショナルな展開を想像するとあくまでドキュメンタリータッチな作りであり結構地味というか硬派であり、その意味では案外娯楽色は薄い。正体不明の新しいウィルスの最初の感染者からそれが広がって行く実体を「Day○」という形で日を追って描写し、ウィルス学者や医療従事者がそれを追って様々な対応に奔走する様や、さらにはワクチン開発を巡る利権の追求の模様なども登場する。しかし、抗体検査やらソーシャルディスタンス、感染経路の特定、手を洗うこと、スーパーマーケットにおける買い占めとパニック、人間は無意識のうちに顔を1日何回触ってしまうとか、余りに今の状況に合致していて苦笑するしかない。そりゃあパンデミックをドキュメンタリータッチで描けばそういうことにはなるだろうが、2011年の時点でコロナウィルスを予言していたかのようなシーンが続出する。

ちなみに先に記した「Day○」と言う展開、最初はDay2(2日目)から始まるが、作品の最後にDay1に何か起こったのか(何か発生起源だったのか)が一気にさかのぼって画面に映し出される。ちょっと説明的に過ぎる気もするし蛇足感はあるが、それでも衝撃的ではある。実際そうなんだろうし。