sho

ピアノ・レッスン 4Kデジタルリマスターのshoのレビュー・感想・評価

4.0
パワーオブザドッグが面白かったので気になっていた作品。今回4Kで初鑑賞。
前評判を聞いて難解な作品だったらどうしよう、寝たらどうしようと不安に思っていたけど、普通に楽しめた。

物語演出の波がハッキリしてた。静かに物語が進んでいくと思えば、唐突に激烈スリラーなシーンが挟まれる。
子どもがのぞいちゃうシーン、床下にボタンが落ちるシーン、土砂降りのあのシーン…
エンタメとしてもハラハラドキドキの見どころが満載だった。

特に印象に残ったのは、彼の家に向かって走っていく描写。
流れるような疾走感のある絵作りと音楽演出が相まって、そこにこめられる主人公の意思、言語化できない情動が画面全体から伝わってくる。個人的に、今敏の「千年女優」を思い出した。素晴らしい。

試写会上映前のトークイベントでは、
「ヨルゴス・ランティモスの「哀れなるものたち」と地続きにある、主体性の獲得というテーマ」「単純に理性と本能とに割り切れない、人間の思考、感情の曖昧さを許容し、そのままの人間性を描く。」といった話があったと思う。

主体性の獲得というテーマに関しては、物語展開はもちろんだが、主人公が手の甲で撫でる仕草に表れているようにも思った。その対象は、ピアノ、男の身体、海の水面と様々だが、言葉を閉ざした主人公が積極的に世界を味わう仕草に思える。
特に性的関係において、本意ではない相手に対しても、相手に触れさせず他者の身体性を味わう側にいることで主体性を保持しようとしている。
これに対し、男として他者に体を委ねることへの強烈な違和感を抱くサムニールが「抱きたい」「なぜ駄目なんだ」と呻く切なさというかなんというか…

人間の曖昧さというテーマは、パワーオブザドッグにも感じたところだが、そうした曖昧さに向き合っていかなければならないところが、この世の生きづらさの全てであるように思う。
日常の中で割り切って生きていても、様々なきっかけで精神のバランスが崩され、自らのどうしようもなさに直面しなければならない。それは本作のように他者との出会いをきっかけに始まることが多く、その度に自らに折り合いをつけて、生きていくしかない。それこそが生きる意思であるように思う。
サムニールが、「彼女が直接脳に語りかけてきた」と言い出した時は「何言ってんだコイツ」と思ったが(笑)、ここで言う「自分にはどうすることもできない強い意思」とは、まさに性愛への情動であり、海に落ち息を吹き返す時に芽生えた生きる意思でもある。

そして、明らかに体調悪い彼女に対し自分のベルトに手をかけるサムニール…
去っていく彼女に「なぜなんだ」「幸せになれるのに」と叫ぶサムニール…
彼自身も人生のどうしようもなさに振り回され、なんとかコントロールしようと翻弄されていることがわかる。
しかしどんなに暴力で捻じ曲げようとしても、どうすることもできない。それを悟り彼女を解放することができただけ、まだマシなのかもしれない。家族だったり恋人だったり、油断すると人は、相手の他者性を理解せずに理想化し、自分でも気付かずにコントロールしようとしてしまいがちだから。

それにしても、役者の演技が素晴らしかった。特に主人公の語りかけてくるような眼差しがとても印象的。

子役もすごい。もちろん演技もすごいが、子どもを物語の中で使うのがとても上手い。
ママが大好きだけど、めちゃくちゃに悪口を言うあの感じ。子どもなりの価値判断で「それって悪いことでしょ?」って素直に聞いちゃうあの感じ。とても自然なのに、物語を上手く稼働させる原動力になっている。
そして、我が子に通訳をさせ、意思疎通を図っていた主人公も、ある意味では我が子の行動に裏切られることになる。そういう意味では、主人公も我が子の他者性を理解できていなかったのかもしれない。

最後に、鑑賞後調べてわかったが、
子役のアンナパキンは、X-MENシリーズのローグになったのね!びっくり!
大きくなったね…
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