レインウォッチャー

ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

4.5
走れ。走ろう。走り続ける。

『ウマ娘』初の劇場版は、まさにその本懐である《走る》という原点を真摯に追求した映画だった。時間の枠いっぱい、ウマ娘たちは、主人公ジャングルポケットは、そしてこの映画は、走り尽くした。これ以上、いったい何を望めるだろう?

冒頭、馴染みの導入ナレーションと共に、史上初の映画(これもひとつの原点だ)ともいわれる『動く馬』へのオマージュを感じさせる映像が始まる。フィルムのようなコマ送りの上で走るウマ娘の影。
ここであらためて、ウマ娘にとって《走る》ことは本能で、それ自体が手段であり目的なのだと定義される。しかし彼女らは確かに体温と共に生きていて、生きている以上迷いもするし悩みもするものだ。そして、故障という物理的な障害は誰の身にも、いつでも起こり得るし、絶対に勝ちたいライバル(目標)とも、時間と運命のズレによって勝負すらできないことだってある。

こういった要素はこれまでのアニメシリーズ(※1)でも描かれてきたことだけれど、今作は再度それでも「走るとは」「勝つとは」何のために?を問い直して、その先へと駆け抜ける。

走る先に、誰もが誰かを追いかけている(※2)…その真の姿は何なのか。憧れのあの人か。強敵のあいつか。それとも?
…最終的にジャングルポケットの辿り着く答えはとてもシンプルなものだけれど、だからこそただの三次元人のヒト息子にも刺さる。不格好でのろまですぐに音を上げて休みながらも、わたしだって走ってる。まいったな。こんなにアニメ映画で背中を押された、いや蹴られたような感じは、新卒一年目でどうしても行きたくなくなった仕事を初めてサボって観た『エヴァ破』以来くらいな気がする(おっと)。

その骨子を支えるのは、言うまでもなくアニメーション映画としての強度だ。アニメ・映画、両方がバ鹿強い。

ウマ娘といえばレース、今作でも多くのレースシーンがある。しかし、ウマ娘のレースシーンって言ってしまえばどれも展開なんて同じようなものだ。終盤が近づけば誰かが「うおおおーー!!!」って雄叫びをあげて加速し、実況が盛り上がって、主人公かライバルか…ゴール!その繰り返し。
とはいえ各話という区切りのあるTVアニメ版と異なり、映画というひとまとまりの時間の中で連続してその光景を観る…って大丈夫なのか?観る前からその心配は大きかった。

また、『ウマ娘』シリーズは史実の競走馬たちのストーリーを再現するという縛りもあるため、そのコントロールが吉と出るか凶と出るか(アニメ3期はまさにそれで失敗していたわけだし)不安でもあったのだけれど、結果としてはいずれも幸福な杞憂に終わった。

毎回のレースシーン、それぞれにバリエーションの異なる演出がつけられていて新鮮なのだ。中心となるキャラクターごとの《ゾーン》の圧倒的で極限状態の狂気すら感じる表現、大きなスクリーンをフルに使う前提の縦横無尽のカメラワーク、意思をもって押し引きが考えられた音楽。
キャラの表情やフォルムは時に過剰なほどデフォルメされ、画風すら変化させながら《速さ》と《熱》を伝える。レースごとにテーマが明確にあり、一回ごとのレースに起承転結が映像的なダイナミクスの波で表現されていて、小さな映画のようだ。(※3)

そんなレースシーンの数々に始まり、美しく巡っては儚く去る季節の中で、劇中に一貫して見られるのが《光》そして《虹》のモチーフだ。これは手を変え品を変え、とても映画的な表現として幾度となくあらわれて、一本の串を通している。
ジャングルポケットが身に着けているクリスタル型のペンダントに光があたれば、虹色のプリズムとなる。このクリスタルは時にミラーボールのように、あるいは分裂した鏡のように、物語の中で登場人物たちを何度も映してその心情を補足してくれる。

そしてもちろん、速さを極めた先には光速がある。走りの速さのエクストリームな表現として光への肉迫があり、その先で目前に広がり飛び散る虹色は、おそらく宇宙空間で光速を超えたときに見えるとされる《星虹》由来であり、主要キャラの一人であるアグネスタキオン(※4)の《タキオン》(光速より速く動く仮想粒子)にも通ずるのだろう。

それに、映画全体での流れの作り方もキレイで、史実再現に流され過ぎずあくまでもジャングルポケットを中心とした成長譚にまとまっている。終わりどころもベストっぽく、まさに末脚。
欲を言えばマンハッタンカフェの活躍がもうちょっと観たかったし、ダンツフレームは情報不足な気がしなくもないけれど…いや、やっぱもっと観たいからディレクターズカット版とかよこしやがれくださいよ。

そんなこんなが合わさって、観終わったあとの充実感は大きい。彼女たちと心は共に走っていて、だから心地よい疲労がある。尺は100分強なのだけれど、良い意味でもっと長く感じた珍しい体験だった。

「私もまた走り出したくなったよ」。
これは、あるウマ娘がジャングルポケットの走りを見て伝える言葉だ。そして、スクリーンの外のわたしもまったく同じことを言いたくなる。帰り道は心なしか早足だ。どうか見ててほしい、明日からまた、わたしなりに昨日より速く走ってみるよ。

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※1:背景のモブ枠で過去アニメシリーズの主要キャラに再会できたりすると、自分でも思った以上に嬉しかった。スズカ元気そう、とか、ライスが楽しそうでよかった、とか。

※2:この表現において、マンハッタンカフェの果たす役割は大きい。彼女はイマジナリーフレンドを追いかけて走るという特殊な性質のキャラなのだけれど、誰にとっても目標とは自分自身のイメージ(想像上)の中にしかない、という抽象化のキーとなる。

※3:場合によっては「描かない」ことによってレースの結果やキャラのコンディションを伝えたりもする。やってんな~

※4:アグネスタキオンという天才に見えてド秀才型ド拗らせキャラについてはそれだけで一本の文章が書けそうなくらいだけれど、今日のところはさすがにやめるぜ。