atoma

ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉のatomaのレビュー・感想・評価

4.5
ウマ娘のオタクとして、つまりある程度までは義務として観に行ったのだが、想像してた何倍も良かった。嬉しいね。

作画、色彩、カッティング、音の使い方含め、クオリティは非常に高く、ちょくちょく挟まるギャグっぽいシーンもスベってなかった。
特に「ウマ娘」フランチャイズで最重要なレースシーンは、作品を重ねほとんど完成形に近づいている。シネスコの画面をフルに使った演出・作画は、一レースごとにテンションが上がっていき、ノイズ系?の緊張感を煽る音楽も相まって劇場で観るに相応しい凄みを備えていた。

話はじつに王道のスポ根もので、フジキセキに憧れレースの世界に飛び込んだ主人公・ジャングルポケットと、その前に立ちはだかる世代最強のマッドサイエンティスト、そしてこの物語のもう一人の主役たるアグネスタキオンが、イマジナリー・フレンド(「お友だち」)と対話する謎めいたマンハッタンカフェ、人懐っこくてなんか強いダンツフレームらと、一度きりのクラシック戦線で凌ぎを削り、最強の証明を目指す、というもの。

だいたいのオタクはJRAのあのCMのおかげでタキオンに訪れる運命を知っているが、それを知らずとも彼女の足に何かが起こっていることは丁寧に示唆される。(でもタキオンは浅屈腱炎だったはずなので、岩が砕けるようなあのイメージ映像はちょと違うのでは)
特に、「お友だち」のコンセプトをタキオンにも延長したことで、彼女の挫折はより印象深いものになっていたように思う。
(ファンなら「お友だち」がサンデーサイレンスの代理概念であることを理解しているのだが、知らない観客は一連の描写に混乱しなかっただろうか? そして、何故フジキセキは「お友だち」と絡まなかったのだろう?)

そういうわけで、皐月賞を勝利した後、タキオンは不本意にクラシック戦線を去ることになり、フジさんとトレーナーに念願の(しかしタキオンなき)ダービー勝利をプレゼントしたポッケも、続く二戦では惜敗。壁にぶつかり、自分を見失っていく。
「勝者には何もやるな」と言わんばかりに、栄光を掴んだ者が次の瞬間には玉座から追われる。この展開のスピーディさは、元が競馬だからこその面白みかも知れない。

そんなポッケが、続くジャパンカップで挑む相手こそ、その玉座に1年間座り続けたテイエムオペラオー。
(もしかしてメイショウドトウの宝塚記念が描かれるのでは、と期待していたのだが、そういうサービスはなかった)
実際の競馬でも、クラシックを走り終えた3歳たちが古馬相手に初めて自分を証明する必要に迫られるのがこのジャパンカップ。
このクライマックスに先立つフジさんとの並走で、ポッケは走ることを通じて自分自身の壁を打ち破り、そしてジャパンカップでのオペラオーたちとの激走によって、観測者の立場へと引き退いていたタキオンの心にもう一度息を吹き込む。

フジキセキ、ジャングルポケット、シニア級のウマ娘たち、そしてアグネスタキオン。走ることへの衝動そのものが伝播していくことで、登場人物たちに救いがもたらされるこの作劇は、「何がウマ娘たちを走らせるのか」というテーマへの美しい回答だと思う(タキオンの姿からも分かる通り、この救いは同時に呪いでもあるのだが)。

ラストは、史実では一度も揃い踏みしたことのない同世代4人のレースが示唆されてEND。物語的余韻を考えれば無い方が美しい気もした展開だが、ウマ娘が「夢の第11レース」的、映画で言えば『フィールド・オブ・ドリームス』的なフランチャイズであることを思い出せば、相応しいのかも知れない。
ライブシーンが始まった瞬間は「やっぱりやるんだ」とにっこり笑顔。

総じて、ウマ娘を知らなくとも、そして知っているならより一層楽しめる作品なのは間違いないと思う。

気に入らない点は主に2点。
・フジキセキのあの服はやっぱ奇妙。IPの方向性が定まってなかった時代のデザインとはいえ、直す機会はいくらでもあったでしょう。(せっかくラバーコースター当たったのに使いづらいんじゃ)
・トレーナー(たぶん渡辺栄調教師の擬人化、泪橋の丹下ジムみたいなジム開いてたのは笑った)にかなり長い台詞があるのだが、緒方賢一の演技は若い声優たちに匹敵できていないと感じた。
atoma

atoma