Jeffrey

スーパーの女のJeffreyのレビュー・感想・評価

スーパーの女(1996年製作の映画)
4.0
「スーパーの女」

〜最初に一言、最高にオモローなオバサン・アドベンチャー喜劇映画である。消費者にとって凄くありがたい映画であり、女シリーズの中でも群を抜いて笑える映画だ〜

冒頭、おかっぱ頭の主婦の存在。ダメなお店の立て直しが始まる。安売り大魔王、スーパーのイロハ、敵の弱点、職人気質、目標日本一、お客様の判定、多数決、青森で調査、我が社の方針、肉泥棒、店員VS副店長、カーチェイス。今、初売りまでの物語が映し出される…本作は平成八年に東宝配給で、伊丹十三が監督と脚本を務めた女シリーズで、サクセスストーリーとしては初めての伊丹映画であり、主演は宮本信子が務め、スーパー大好き主婦が幼馴染の経営するダメスーパーマーケットを立て直していくという面白い映画で、このたびBDにて再鑑賞したが普通に楽しい。立て続けに失敗作を作ってしまった監督がこの作品で本領発揮をし、見事に日本アカデミー賞で最優秀作品賞受賞し、メガヒットとなった。やはり女シリーズはもはやブランド化しており、観客も劇場に足を運ぶのだろう。逆に〇〇の女がついていないと駄作と思われてしまうと言うネックな部分もあるように見えるが、私個人すべての作品標準的★スコア四である。原作は"小説スーパーマーケット"で、著者の安土敏こと荒井伸也は、一九九六年当時、スーパーマーケットチェーン「サミット」の社長であり、この映画の製作には同社が全面協力しているみたいだ。

因みに本作はいわゆる牛肉偽装事件が発覚する前から生産地の偽装について取り上げてしまっていて、伊丹十三の予言的な事柄を世に知らしめる事になって話題になったのと、この映画による影響で改善されたスーパーマーケットも数多くあると言う事実、試写を見たとあるスーパーの店員達はその上層部に私たちはこの店を映画のようなスーパーにしたいんですと訴えたらしい。これらの経緯によりら社員教育や研修用の素材ビデオとしても活用されているとの事。平成十二年の雪印集団食中毒事件を皮切りに相次いで起こった大規模な食品事故を機に社会的関心が高まり、食の安全や食品偽装といったテーマを数年前に既に描いていたという点で、すごい着眼点だと言われたそうだ。

それにしてもスーパーを題材にした映画で、ご近所にあるごくありふれた普通の食品スーパーを舞台にするなんて凄いと思う。スーパーと言う商売は、大きなところに大量の肉や魚や野菜を並べて売っているこの大冒険的な描写をうまく描ききっている。映画でも売れなかったら全部腐っちゃうので廃棄する場面もあるし、当たり前のようであまり知らない世界をえぐり出した伊丹十三の傑作である。映画を通してスーパーの売り上げを上げる方法のーつに何よりも品物が安くなければならないと言う事と、お客様の信頼が第一と言うことが描かれている。安ければよく売れる、売れれば品物がどんどんなくなる、なくなれば新しいものをどんどん補充する、だから売り場にいつも新鮮なものが並ぶことを教えてくれている。要するに、品質の良さと価格の安さはスーパーの本質で、互いに嬉しいことであることを強調している。にもかかわらず、世の中にはひどいスーパーが多すぎることも言及している。これが問題だと監督を感じたのだろう。

映画の予告(特報)では監督自身が出てきて色々と解説するのだが、その言葉も思いっきり今述べた事柄を伝えている。こういったスーパーは即なくなってほしいと言う気持ちが写し出される。例えば野菜がしなしなだったり、魚からは赤いお汁が出ている、肉が変色してしまい美味しくなさそう、それを赤い蛍光灯でごまかして売っているお店、昨日売れ残ったものをリパックして今日の日付に直すこと、売れ残りの材料はお惣菜に変身してしまうこと、しかもお惣菜は朝のうちに全部作ってしまうから晩御飯のおかずを買いに行っても、フライもコロッケも冷たくなってコチコチになっていたり、目玉商品は単なる客寄せの餌でしかなく、開店直後直ちに売り切れたり、輸入肉の良い物は和牛として売ってしまったり、売り場はゴミだらけで不潔、従業員はおしゃべりに夢中、こんなスーパーは絶対にダメと監督は言うのである。特にこの作品ではリパックを中心に不穏な従業員の対立の空気感が醸し出されている。そういえばスーパーを舞台にした驚くような舞台裏を描写しつつ、奇想天外の爆笑コメディーを作り上げた作品って他にあったのだろうか?

いまだにスーパーを題材にした面白い映画ってあんまり見かけないような気がする。確か何かでスーパーを舞台にしていた映画を見た覚えがあるのだが、全然タイトルが思い出せないしどこの国の作品かも忘れてしまった。この映画の画期的な事柄についてだが、ただのスーパー好きのおばさんがふと巡り会った小学校の同級生の経営者とダメスーパーを徹底的に主婦の立場から理想のスーパーに作り直していくと言うご年配アドベンチャーって言うところが素晴らしい。出てくるのはおばさん、次もおばさん、次もおばさんそしておじさんと言うのである。正直スーパーの事なんて何とも思わない人が基本的に多くいると思うのだが、この映画を見るとスーパーが好きになってくる。というのも、スーパーと言う空間ではものすごい緊迫感に満ちた駆け引きや忖度などがある。それらは時にして我々お客に牙を剥き、従業員の心に負担を与えるものである。そういったものを映画館を出てふと考えると、いつしか自分が買い物が楽しく上手になるための知恵をもらったとして嬉しく劇場を後にできる気持ちになる。

やはり伊丹十三の女シリーズはどれも知識豊富になり、見て損する映画は一つもない。女シリーズの中でもー番喜劇色が強く面白い映画では無いだろうか。マルサの、ミンボー、マルタイの女と…どれも宮本信子が素晴らしいアイコンとして位置づけられていて最高である。彼女はどんな風貌でも一度画面に出ると観客を安心させ楽しませてくれる。様々な髪型を変え、いろんな表情ができる素晴らしい日本の女優だとつくづく思うのである。宮本信子を演じる主婦が劇中の中で言い放つ言葉がすごく印象的で、スーパーのためにお客様があるんじゃない、お客様のためにスーパーがあるんだ…と言う言葉やライバルスーパーに従業員を持っていかれそうになるときの演説とかも胸がすっとするし感動的である。まさに泣いて笑って楽しむ映画であった。その通り、ビッグストアの食品スーパーは、全く別のジャンルに属し、どちらもスーパーと呼ばれていると言うところに、悲劇や喜劇があり、いろいろな混乱が起こってきていると感じた作者が、みんなに知ってもらいたい一心で、小説や論文をいくつも書いてしまって、その小説を参考に、監督が今回素晴らしいコメディ映画を作ったんだなと、それはつまり事はそれほど重大だったのだろう…。

ここでふと思ったのが、スーパーマーケットと言う言葉は英語である。という事はスーパーマーケットの本場と言うのはアメリカ合衆国である事は一目瞭然である。という事は、食品スーパーのみを指す言葉と言うことも理解できる。つまり、スーパーマーケットの本ものは、食品スーパーの方で、ビッグストアではないと言うことが明らかにされた。米国にはビッグストアと言うものはなくて、あるとすればデパートメントストアかジェネラルマーチャンダイズストア、ショッピングセンターとかだろう。要するにスーパーマーケットと言うのは先ほども述べたようにご近所にありふれたものを指すと言うことになる。スーパーマーケットとは、食品スーパーの事を指差し、日本ではこのニ 二つが色々と混ざってしまい訳が分からなくなってしまったのだ。これは日本の良いところでもあり悪いところでもあるのだろう。基本的に食品スーパーと言うのは自宅から十分程度でつける場所にあるもので、もしなければそこはとても暮らしにくいと言う前提条件がついてしまう。

要するにスーパーマーケットと言うものが近くになければその土地は安くなり、引っ越し先には選ばれないと言うこともわかってくる。それもそうだろう、食品スーパーがなければ今夜の飯も作れなければ、調味料なども買えない。ところが今の世の中、便利なコンビニエンスストアと言うものがあり、そこにいちど足を踏み入れれば何もかもが揃っている。しかしながら値段は高いのである。トイレットペーパーや化粧品まで置いてあるし便利な世の中だ。そうすると外食産業に対する内食産業と言うところだろうスーパーマーケットと言うのは。これが家の近くになかったら、生活費は高くついてしまう事は誰もがわかることで、主婦の大いなる味方である。特にスーパーは閉店間際になると値引きもするのでコンビニとはその点は違う。しかしここ最近コンビニもそういったシールを貼る傾向がある。企業はいつでも戦いだ。業界にとっては一寸先は闇というところだろう。さて前置きはこの辺にして物語を少し説明したいと思う。



さて、物語は(冒頭の字幕場面)…この映画はスーパーのお話です。スーパーと言うのは、皆さんのご近所にある、あの、至極なんでもない、普通の食品スーパーのことです。ダイエー、イトーヨーカドー、ジャスコ、ニチイ等とはビッグストアと言う別のジャンルのものとして除外いたします…と流れる。おかっぱ頭のスーパーマーケット大好き主婦の井上花子は、スーパー安売り大魔王で、小学校時代の幼馴染の小林五郎と偶然再会する。花子はもう一つスーパーを見て欲しいと五郎に言われ、ついて行った先のスーパー正直屋のダメぶりを五郎に言う。そこから二人はライバルスーパーを敵対して、スパイをしたり試行錯誤して何とか生き残りを試みる。そこには様々な曲がやってくる。オバタリアン、ヨークシャテリアを連れてくるリッチなお客、そしてバックヤードにいる様々なプロ意識を持つ担当者たちとの対立など様々な奇想天外なエピソードが随所に入ってくる…と簡単に説明するとこんな感じで最高のコメディー映画である。


いゃ〜、喜劇とアクションを兼ね備えた極上のエンターテイメント映画だ。冒頭にイトーヨーカドーやジャスコ、ダイエー等はビッグストアとして除外しますって字幕が出るんだけど、ジャスコとか懐かしい…今はイオンと言うんだよな。それに若き日の柴田理恵が出演しているのも改めて見てあー懐かしいと思った。それが常連客のおばさん四人組の一人で、さらに濃い連中が揃っていて、今でこそ従軍慰安婦問題に取り憑かれた左巻きの論客としてメディアに出ている田嶋陽子もその一人にいるし、阿知波悟美に加えて川俣しのぶのあの卵を手に持って滑らして落として踏みつけるあのワンシーンのわざとらしさが爆笑する。それこそ惣菜部チーフ(ウメさん)役ではあき竹城も裏方で出ているし、三年前に他界した野際陽子はヨークシャーテリアを持った上品ぶっている客で現れるし、精肉部助手(タケちゃん)役では柳沢慎吾まで出ている。まぁ伊丹十三の作品と言うのはありとあらゆる詳細なところに有名どころのタレントから役者を豪華に使うなと改めて思わされた作品である。

しかも精肉部チーフ役の六平直政が宮本信子演じる井上花子を冷凍庫に閉じ込める場面を強烈であるし、鮮魚部助手(キンちゃん)役に伊集院光、販促部員には小堺一機までもが出演していてそうそうたる面々である。今でこそレジ袋に税金を取る羽目になり、カゴパクと言うのが流行り始めて問題になっているが、この映画を見る限りこの時からカゴを車のトランクに入れて盗んでしまうと言う行為は多発していたようだ。宮本信子と津川雅彦がスーパーで初対面するシーンから長々と二人の会話が写し出されるんだけど、すごく面白い。なんだろ特に何のアクションもないんだけど世間話が耳に入ってくる。それと今は懐かしい当時の駄菓子だったり商品が垣間見れて面白い。そして強烈なのが伊東四朗演じる相手(ライバル)のスーパーの社長である。

それにしても売り出しの卵ワンパック八十八円のところを間違えて広告に二十八円と打ってしまって観客が雪崩のように現れる場面は爆笑。柴田理恵とか見てるだけで笑えちゃう。そんでたらこのおにぎりに混ぜ物をしてごまかしている業者とのお話し合いの場面があるんだけど、こうやって客を騙すんだなとかなり勉強になるだろう。この映画を見るとスーパーに行くと色々と疑心暗鬼になってしまう(笑)。といっても俺自身スーパーに行く事はほとんどないけども。お互いにパートナーをなくしている宮本と津川がホテルでイチャイチャする場面は見てられない。なんか不思議な光景だなーと…。そんで何よりもこの映画終盤にかけて、デコトラと冷凍車がカーチェイスを小さな商店街の道を通ってから大通りに出るまでの迫力のシーンがあるのに驚く。

そういえばデビュー作の「お葬式」もサンドイッチを手渡すためのカーチェイスが繰り広げられていたが、あれはスタジオ撮影だったためそんなこともないが、これはガチの道路でやっているためものすごいインパクトのある描写になっている。パトカーも後から追ってくる羽目になるし、まるでアクション映画さながらである。多分、製作費のほとんどがこのシークエンスに注ぎ込まれていると思う。そんで冷凍車に閉じ込められた宮本信子を救出する場面で、目を覚ました瞬間の撮影の仕方は「お葬式」同様ローアングルショットであるのも面白いところだ。んで、凍え切っている彼女を抱いて温める専務の五郎が彼女を裸にしてお風呂で温めたって言う場面で、私を裸にしたのかと怒る場面も微笑ましい。さて、少しばかりスーパーマーケットについて改めて話したいのだが、食品スーパーの中心商品と言うのは生鮮食品で、肉や魚、野菜である。

これらがいつも品を揃えていなければスーパーマーケットに来るお客はまずいないだろう。そしてこれらはすぐに腐ってしまうデリケートな商品であり、一刻も早く客の手に取ってもらわなくては困るのである。野菜はしなしなになってしまうし、肉は変色してしまうし、魚はたちまち匂いがしたり色が変わるし本当に厄介な物たちである。だから早く売ってしまいたいと言う業界側の悪事がこの映画では写し出されている。それが理屈なのだと感じた。そしてビックストアのような大型店と言うのは毎日数千人から何万人もの人が来るため、新鮮なうちに売り切れになるが、住宅地の食品スーパーはそうもいかないだろう。人数が違うのだ。だとするとスーパーマーケットの存在意義と言うのは果たしてあるのだろうかと結論付けてしまうこともできる。

大型店に行けば新鮮なものが購入できるんなら、わざわざスーパーに行く必要もないだろう。ところがスーパーと言うのは基本的には主婦にとっては大切なものであり、スーパー側からしても主婦と言うのは大切なお客様である。子供個人の為、父親のためにあるのではないと映画を見るとを感じれた。それだけで存在意義があるとも考えられる。わざわざ主婦一人が自転車をこいで隣街の大型店に行くわけもなし、わざわざ隣街まで汗水垂らしていき、高いものを購入するわけもなし、買い物と言うのは週に何回もするもので、やはりご近所に食品スーパーマーケットがあるだけで心の支えにもなるし、何よりも家計の支えになる。それだけで存在意義があると感じれるのだ。しかしながら今日の大型店の中に組み込まれているスーパーと言うのは、近所にあるスーパーと同様に非常に安くなっているのが厄介である。そうすると隣町まで行ってでも買う価値があると思う主婦も出てくることだろう。昔はそうではなかったが今はそういう時代なのである。

生鮮食品と言うのは腐りやすいため冷蔵状態で売れば鮮度が長持ちするため、コストをかけてでも店に冷蔵ケースを仕入れて、いわば扉のない冷蔵庫を開けっ放しにしている状態で電気代もかなり払って、完璧な設備で完璧な商品をお客様に提供していると言うのが今の現状で、涙を飲んですべての生鮮食品を提供しているんだなと言うこともわかる。しかし、商品の種類や数量が多すぎたら、腐るものが出てくるのも当然で、客数に応じてちょうどぴったり余さず売り切るように、商品を用意しようとすることもなかなか難しい商売だなと思う。この映画はスーパーマーケット業をなめんじゃねーと言っているような気もする。特に売り場とバックヤードの関係を密接に描いているところも非常に良くて、いろんな工夫がバックヤードでなされている、これがスーパーの心臓と五郎が言っていたのがなるほどなとうなずけるのだ。

本作は職人気質との戦いまで描いていて、何よりもその職人気質のせいで色々と困難の目に合わされている人がいると言うことも浮き彫りにしている。ところで、必需品を買うのと贅沢品を買うと言うのは心理的にはどうなんだろうか?必需品を買うと言うのは贅沢品を買う場合とは違ってストレス解消と言う面があるのは何となくわかるのだが、必需品を買うとなると極力お金を抑えて買いたいと言うのがあるのだろう。結局は消耗してしまう消耗品なのだから。隠してバブルが弾けた背景にあるお金の使い方を伝授してくれた一品であった。主役の宮本信子の野球帽子が非常にインパクトがあったのだが、本作の主婦のイメージ像がすごい。マフラーと赤いセーターにチェックのズボンだったからすごいわんぱくって感じがした。それと宮本と津川のツッコミも面白かった。基本的に長回しだからセリフ覚えるの大変だったろうなと思うけど二人のやりとりは最高だった。ボケとツッコミって感じで。

それにしても伊丹十三監督作品と言うのは、カメラの移動が多いし、大量エキストラが動いている中のワンシーン長回しが多いため本当に役者は苦労するだろうなと思った。そもそもカメラを固定することがほとんどない演出ばかりで、レール的なものじゃなくタイヤに乗せてクレーンも一緒についてくると言うような、上がったり下がったりしてしまうような空間は賑やかではあるが、色々と難しいと思う。今回敵役だったスーパー安売り大魔王の店長の伊東四朗は、自分にとってはクイズヘキサゴンの時から小さいながらによく覚えている人物であるから、それなりに映画を見始めてから、クイズヘキサゴンの人だと嬉しくなったことを初見した時覚えている。それにテレビの売れっ子タレントの松本明子の存在感も結構あって良かった。ところでスーパーを舞台にしている分エアコンが効いていて皆寒かったんだろうなと勝手ながらに思う。

そうそう、「ミンボーの女」にもホテルのドアボーイ役でほんの少し出てた三宅裕二がこの作品ではもうちょっと尺の長い出演をしていた。「スーパーの女」では三宅裕司そのものの人間柄が役に憑依していてすごく印象的だった。なんとも優しさに溢れた方だなと思う。それに板前チーフ(魚担当)を演じた高橋長英がブチ切れるシーンもインパクトがあった。彼も監督の作品数本出ているな。」タンポポ」「マルサの女」「大病院」「静かな生活」など…。そんで六平直政が演じた精肉部のチーフは圧巻である。まさにこの役をするために生まれてきたと言っても過言ではないほどの目力と恐怖感に満ちたというか得体の知れない未知の男をうまく演じていてすごくよかった。彼も監督の作品にちょこちょこ出ているが、容姿が容姿なだけインパクトがあってすごく良い。矢野宣演じる店長がエプロン姿からフィルムノワールに出てくるようなハットをかぶって背広を着ているシーンも風変わりでよかった。結局悪役になっちゃうんだけど、どこにでもいそうな悪役でそこまで非難できない立ち位置にいた。


そんで本当にわずかワンシーンだけしか出てこなかった野際陽子のインパクトは凄まじいものがあるだろう。予告編にも彼女が出ているワンシーンが流れるのだが、彼女が啖呵を切る場面はすごい。そういえば野際陽子は俳優だった伊丹十三と何かの映画で共演してたような気がするが、タイトルが全然思い出せない。正直野際陽子をもう少し出して欲しかった位だった。というのも自分が野際陽子のファンであると言うのもあるけど、あんなリッチなオバタリアンを演じていたのはさすがである。オバタリアンと言えば田島陽子も強烈だったが(笑)。よくわからないのが主婦=スーパーマーケットに行く存在的な映画を作っているにもかかわらず、田嶋陽子のようなリベラル色、フェミニスト全開の論客?彼女って何をしてるのかよくわからないけど、まぁ仮に論客の一人として彼女がこの映画に出たことが驚きである。どちらかと言うと女性を軽視しているかのような作品と思い込みそうな田嶋陽子が出ていたのが不思議である。

あと嬉しかったのが子供の頃によく見ていた東京フレンドパークやさんまのからくりテレビ等に出演していた渡辺正弘がライバルスーパーマーケットの従業員の一人として出演していたことだ。ほんのわずかな出番しかなかったけど個人的には印象に残った。ほんの少しと言えば小堺一樹や原日出子もそうである。そういえばスーパーマーケットが米国からやってくる前と言うのは日本では野菜は八百屋で買う、魚は魚屋で買う、お肉は肉屋で買う、豆腐は豆腐屋で買う…とそれぞれみんな別々にお店を持ち別々に買いに日本人は行ってたなぁとふと思い出した。さて、少しばかりこの作品に出てきたポイントを話したいと思う。スーパーマーケットとは一九三〇年のアメリカニューヨーク州ジャマイカにマイケル・カレンがオープンさせたキングカレン店が第一号で、セルフサービス方式の総合食品小売店のことを言うそうで、生鮮食品と加工食品、駄菓子、冷凍食品、それに購買度の高い消耗用品を加えた最もベーシックな生活に根ざした店だと言うことだ。

ちなみに三つに分類されているチェーンストアと言うのは、組織の大きさによってナショナルチェーン、リージョナルチェーン、ローカルチェーンと言われており、一つの資本、ーつの本部のもとに、多数の店舗が連鎖的に標準化された管理で運営される経営組織のことを言う。ちなみにパートタイマーと言うのは言葉の意味は時間単位で雇われている非常勤の社員のことで、しかし日本では一般に、常勤の短時間勤務の女性社員のことを言う。アメリカでは男性も多い。フルタイマーが反対語であることご存知の通りだ。それにチェッカーと言うのはセルフサービスで、代金決済を行う役目の人のことを言う。セルフサービスのスーパーマーケットでは、レジを打ち、生産をするだけでなく、接客や苦情処理の仕事をすることもある。そしてゴンドラエンドと言うのは、イタリアベネチアの名物ゴンドラ(小舟)から名付けられた最も一般的な陳列のことをいい、そのゴンドラの端をエンドと言う。ブックエンドのエンドと同じ意味だそうだ。

そして部門と言うのはスーパーマーケットでは商品分類の中での大分類のことを意味する。一般に、青果部門、漁魚(海産、水産)部門、精肉(食肉、畜産)部門、デイリー部門、お惣菜部門、日用品(雑貨)部門等に分けられ、商品分類がそのまま売り場の分類、および呼び方になっていることが多い。 クレンリネスと言うのは直訳では、清潔あるいは衛生的な清潔さを意味するが、流通業界では、その上に照り映えるように磨かれた綺麗さを加えて、経営用語として使われている。アメリカの小売業は、このクレンリネスがほとんどの店で徹底されている。マニュアルと言うのは標準化された仕事や業務の作業手順指示書のことをで、パートタイマーにも出来るように、作業を分解し、分業システムをやりやすくするようにした手引書のことである。そしてバックヤードは店舗の売り場以外の広報スペースのことを言う。スーパーマーケットの場合、生鮮部門の加工作業場、および商品保管スペースを指差すことが多い。作業するのに必要な適正なスペースを要すること(店内でほとんどの生鮮加工する店の場合、売り場面積の三分のーの広さが必要であるとされている)、作業員が働ける通路が確保されていることを、整理整頓しやすい状態が用意されていることが条件である。

そしてリパックと言うのは再包装の意味を持ち、スーパーマーケットでは生鮮食品をトレイやフィルムでパックして、その日付を印字して商品化し販売することを言う。そして最後に欠品と言うのは一般的には、商品が売り切れて、売り場に並んでいない状態のことを言う。したがってあるアイテムが予測以上に売れても欠品しない売り場スペース(アイテム事、シーズン、日曜ごとに売れ行きが違う)と商品補充の仕組み、および正確な触。売れ行きの技術が要求されるものである。以上がこの作品に出てくる重要なポイントである。最後にこの作品に出てきた柳沢慎吾の母親は伊丹の大ファンでサインをくれと言ってサインを息子から預かってきてもらったそうだ。まだこの映画を見てない方はぜひお勧めする。消費者として非常に勉強になる映画である。
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