ゆきち

大日本人のゆきちのレビュー・感想・評価

大日本人(2007年製作の映画)
4.5
酷評されるのはよくわかる。
今までの松ちゃんの笑いからの繋がってないように見えるし、松本人志の名が付くだけで笑いを求める気持ちが抑えられなくて、それを裏切られてシラけるのもよくわかる。

ただテレビから映画という媒体に移った松本人志は劇的な進化を遂げた。
それはもうその辺に転がってる感性にはついていけないぐらいの進化だ。

楽しみたければ、登場人物全てを現実の人生と認めることが大切です。

もちろん映画としてもかなり特殊な作品で、荒削りなところは多いが、他の監督では見れない唯一無二の空気感と深い哀愁の中に笑いがある。
空気を共有できてなければこの笑いはただの酷いシュールとして映るが、哀愁を持ってみれば腹から笑いながらも、「うわぁー、こういう人居るわぁーー」と深く共感せざるを得ない。

テレビ作品で繋がっているのが「働くおっさん人形」「働くおっさん劇場」「モーニングビッグ対談」である。
この「働くおっさん人形」というタイトルがもう既に多くのことを象徴している。
おっさんに限らず、人間は皆何かからの指示、圧力を受けている。それが上司だったり、その場の空気、社会的な要請だったりする。そんな外力は別に自分の内側からの欲望もある。純粋な意志であることもあればエゴや見栄だったりもする。
それらの力が一人の人間の中でぶつかり合って、時に複雑に絡み合って人は行動する。
その絡み合いが年月を経て過剰に絡み合い過ぎて、でも自分のエゴや見栄や欲望が少し前に出たときに狂った笑いが生まれる。
松本人志はこの作品で一時悩んだことがあると言う。「俺たち芸人がどれだけ一生懸命に笑いを構築したところで、この人生まるごとで意図せず笑いをこぼれ落としてしまっているおっさんには勝てないのではないだろうか」
そんな苦悩から一筋の光が見えたような作品です。

テレビによる人物のキャラクター化が横行し「分かりやすい人間像」に囲まれて目が見えなくなった人間には分かるまい。人間が複雑怪奇な千変万化しうる生き物であるという事実から目を逸さなかった者だけが感じとることができる哀愁と笑い。
作り込まれリアルな人間像をとくと味わって下さい。
ゆきち

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