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π〈パイ〉 デジタルリマスターのbluetokyoのレビュー・感想・評価

3.8
頭痛が痛い。森羅万象には、それを統一する法則がある。あるいは、そこに神がいる。現に螺旋をみよ。森羅万象のいたるところに螺旋があるわけだし。もし、そんな法則を見付ければ、株式市場で大儲けできる。と、人間は、自然にそう思い込んでいるわけである。たとえば、螺旋である。森羅万象に螺旋があるのではなく、そもそも、人間の捉え方がそうなっているにすぎないのでは、ということだ。法則というのも、そもそも、法則として、人間が捉えるから、あるいは、法則が、人間の捉え方であるから、なのではないか。

あ、なんだ、そうなんだ。一件落着、とはならない。そのとき、強烈な頭痛が襲うはずだからである。少なくとも、この映画では、このおかしな事態を、主人公、マックス・コーエンを襲う強烈な頭痛として表現している。
たとえば、科学の法則。もちろん、科学の法則も、人類が、そのように捉えたものでしかない。でも、その法則は、科学技術となって、現実的な力を生み出してしまう。水爆を生み出したり、遺伝子をいじって未知の生物を生み出したり、である。

あ、なんだ、やっぱ、法則は神なんだ。人類、すげえ。そうだったらいいけどね。そうして生み出されたテクノロジーは、まるでコントロールできない。なんか、限界があるからだ。それはそうだ、限定された中での法則なんだから。
その限界を、この映画では、216桁の数字と表現している。そこまで行くと、コンピューターがショートしてしまうのだ。
それを知った証券会社の人たち?や宗教の人たち?が、その先を知ろうとして、マックスに襲い掛かってくる。
マックスは、その先は自分の頭の中にあるさ、とうそぶく。
だが、その実、頭の中にあるのは、強烈な頭痛なのである。

限界があるって、じゃあ、ダメじゃん。実際そうなのだが、現実にはそうなっていない。たとえば、原子力発電は、少しもリスクを取れないし、放射性廃棄物をまったく処理できない。それなのに、そのことがなかったかのように、操業は続き、新規に原子力発電所は作られ続けているわけだ。
そうしたおかしな軋轢というか矛盾というか、そういうごちゃごちゃが、マックスに頭痛をもたらしているように思える。

ついにマックスは、頭にドリルを突き立てて、頭痛のもとを取り出してしまう。ああ、すっきり。しかし、計算ができなくなってしまう。
平穏だが腑抜けになるか、進歩的だが破滅なのか、その二つの間をフラフラしているのが人類なのかね。

難を言えば、チープ過ぎて、マックスが数学者にまったく見えないことだ。
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