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映画をつくる女性たち
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『映画をつくる女性たち』に投稿された感想・評価

✔️🔸『映画をつくる女性たち』(2.8) 及び【浜野佐知集】🔸❶『ダブルEカップ 完熟』(3.4)🔸❷『(生)性体験 世にもみだらな女たち』(3.3)▶️▶️

「女性の真実描きたくも、お仕着せメロドラマ1本で劇映画終わり、満映で記録映画10本も、帰国するとスクリプターくらいしかなし」s/「製作引受けのアドバルーンあげた以上、シナリオから募集、採用者が監督もと、その侭女性監督に」o→t/「スター然から、監督へ。技術より、人間の完成を、と成瀬先生に教わる」t/「まだ、歴史浅く序列のないピンク映画の世界を狙う。レイプ(女や子への)等の要求にも、性の関係は対等からと断り、自分のプロを作る。300本作っても、一般には監督認知なく、一般映画へも」h/「文楽の素晴らしさを客席から近づいての、映画技法で。出来上がりは、参加大家も納得以上で安心」ku/「プロデューサーから監督へ。出資者へのご機嫌伺いから、自己ビジョンでリードの側へ。戸惑った」/「IDHEC留学で女性監督少·遅れた男性社会は日本に限らず世界の映画界もと知る。帰国後も細々TV仕事くるだけ。そんな時、東京国際映画祭の女性監督週間を任される。国内女性監督の奮起促しや受け皿増を担う」ta/「スクリプターに戻れと勧められても道具壊し、退路断つ。カメラ7台·スタッフ35人·対象女子選手多数·の大部隊。 ヤクザ的照明らの女性監督蔑視·軽視·脅しにビクビクも逃げ出さずの、クランクインから暫くの我慢」si/「不自由な子供たちの輝きを、映画でより素晴らしく残しときたい。まだ、作りたい」mi/「女·若年·病気重なりスクリプター無理と自己都合通せる監督へ。介護し合う母と、同宿·現場帯同で乗り切る」m/「胎児に悪い仕事断ると、女は···と12年仕事来ずも、慌てずしっかり待つ」f/「母胎プロ解散、しかし、今村監督へ見切り発車させる。現場にいない事が多くも、顔出すと、私の顔より続行の金に歓喜の皆」i/「この仕事の犠牲大。結婚や子作り。それでも魅力、これしかない」/「よかった、とホッと安心する暇なぞない。次々困難で。完成公開しても。あるとしたら、次作に着手出来た時」/「脚本を書いて下さった新藤先生のひと押しなければ、とても自分からは監督など」ma/「スタッフ抱え記録映画監督から、自分がカメラ回すフィルムメーカーへも」km/「企画諦めず。米で特訓英語の舞台劇にし、評判取り、当初の目的の映画化へ」n/「世代的に金の心配は少。専門学校から、時勢より·自分の内側を描くを、方向付けらる。押され·刺し返してるかもだが、他人との関係を築くが目的」ka/「岩波を定年退職して、100%私のもの、作家の位置と醍醐味を得る。感じたら、動けの信条。痴呆性老人テーマは世界初だったろうが、知性は衰えても情緒は健在。威圧捨て、穏やか円満に接す事」ht/
坂根sから絹代k、藤原f·岡本o·槇坪m·栗崎ku·高山t·宮城mi·渋谷si·飯野i·高野tn·奈良橋n·熊谷km·松井ma、河瀬kaから羽田ht、他々、多くの日本女性監督(2人プロデューサー)の当時70年間の、紹介·回顧語り·作品断片を一見アトランダムに連ねて、その今では考えられぬ困難と障害の形と、乗り切る強い闘いの絶え間無さは面白くなりかけるが、分断·相殺され、作品としては、纏まった力を欠く(引き延ばせば、ぐんと引き込み·爆発的なレベルへも届き得る各語り)。大作家より、高名でない人の切迫感の方がリアルに伝わり、大作家はその内的スケールの女性特有の懐ろ大きさに感心。紹介されたものの半数くらいしか見てないか。そもそも、TIFFでの15周年位の、女性映画週間の紹介·宣伝映画で、当時結構女性監督普通なのに(好きなウェルトミューラー·ウェイル·宮城·から、そうでもなかったがヴァルダ·カヴァーニ·左迄)、このように取り出す事は、逆差別ではと思ったのとは、今は違うがそれにしても表面なぞりに見えてしまう。映画祭自体、稔りがあったイメージがなく、他所から芽吹きが拡がっていった印象がある(ウルマン作ら、幾つか観に行き感動もしたが)。
ナレーション気づかずも中里雅子か。
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意識をそうしないで、ピンク映画の3本立の1本として、男の池島なんかと同じ感覚で吉行や浜野の幾つかは見て、女性監督の名ということだけに、一瞬興味は持ってきたかもしれない。
しかし、硬派の一般映画も手掛け、監督総数300本、ベースとして自社も立ち上げてる、となると、グリフィスやフォード、マキノらに匹敵の巨人、そしてそれらの作品の作家というより、視野の独自性·ラジカルの一貫性からは、ヴァルダ·パゾリーニ·ゴダールらと並ぶ、先駆者と呼ぶべきか、浜野佐知。女性映画のグラウンドでの、先進性·戦闘性の果敢さと成果は、ヴァルダやカヴァーニらと同時代的で、より突き進んでるのだろう。観客らや批評家がきづくのに大きく遅れてしまったのか。
上記証言を見事証明の二本立て、その美質。まず、ストーリー·デクパージュに関し、起承転結纏まり·美的立体な形式に納めることはしない、かといって只並列化して創作から離れてる訳ではなく、肉体的·生理·反慣習的な立体·生態·形態を手繰りよせ、それにのっとる。執拗な、下着越しとはいえ、女性の股間とその指や舌·道具を食い込ます、CUを中心とした、肉感性·存在性·逆に加虐感は、男性監督なら今は勿論、AV世界においても、形としてのエクスキューズや世界からの反感が必至な位なもの。腰振りより密着絡まり。3人の女のエピソードの自由行き来並行、一転抽象や広大伸びやかへの転換入れも。
「生花は花と人の出会い、接触と驚き、取分け女体に活ける事、亀甲縛りが、裏家元の極意。証拠写真バラまかれたくなくば、従え」と云うのへ、「授業でも本番するくらい。親も友も知ってて、驚く者はいない。21世紀を迎えるのに、なんという旧さ·馬鹿らしさ」と「男の(本音)浪漫など壊される」だけ(❶)、或いは「最近の女の摂る栄養バランスに、粗食育ちの俺らは腕力でも、逆にやりこまれる」(❷)の、受け身姿勢と無縁の自然積極の女性像の当然観。男からの悪戯を逆に望み誘い、男のスケベからの自己ランクの上げさせ努力から、離れ置いてけぼりや逆リードの、自立?離れへ(❶)。欲求不満に迄は至らぬ受け取り姿勢から、自ら一週間、性の「冒険」の開拓試み、後で披露コンテスト的に(❷)。丸く動く色彩光しつこく、流れ拡がる。自然(庭園)に駆ける華やか和服(❶)、多色様々バイフレータらのしつこめ美観(❷)。
生花の大師匠講座に通う女子大生のや家元妻、上級へと称してSM生花への引き込みの、罠に、思わぬ自然態現しての大反撃(❶)。AV鑑賞浸り疑問で、性の冒険へ繰り出す、人妻やOLらの3人組。競いの仕方は、膣圧アップら女体改造、無重力SEXへ近付く水中ならぬ水浸しSEX、女の多穴持ちへ多彩バイブ揃え試し、の間で(❷)。こってり話埋めて色彩や存在もしっかり敷き詰める(❶)のと、カメラや構図も自在に動く·やや細身纏めのと(❷)。
ひー

ひーの感想・評価

3.2
あのフランスでも60年代は女性は映画監督になれなかったのかと知り驚いた。

確かに昔のフランスの女性映画監督といえば、アニエス・ヴァルダぐらいしか頭に浮かばない…

女性差別は日本映画界だけの問題ではなく、海外の映画界の問題でもあると同時に、社会全体の問題だと感じた。