映画でやるべき表現とはこういうことなんだと思う。感情とその要因となる環境を映像で見せることができれば、筋書きなんてモノローグで示せば十分。時系列の乱れも、人間が過去を思い出す順番なんてお行儀よく古い順に並んでるわけではなく、エモーションや匂いによって散発的に浮かんでくるものだ、と伝えているように感じた。
映画における「身体」って、例えば、キャラクターを構成する重要な部分である肉体労働の証としてだったり、恋愛における父性や包容力の象徴だったり、色々頭の中でワードとして処理できる程度のことが多いけど、この映画では、「場」であって、かつ映画を動かすドライバーとして、必要不可欠に存在してる。
観終わった後に、映画の中の登場人物に対して、幸せに生きていってほしいって思うのは良い映画。
クレール・ドゥニの最近の作品には消化不良を感じることが多いけど、初期作品のキレを見るたび、新作期待してしまう。