【笑いの陰に】
女郎屋にいて、きれいな女に囲まれていながら、居残り佐平次は女に手を出さない。
なぜ出さないのか。病気だかだらか。
いや、多分、「本気」にならないためだろう。
幕末の、価値観が揺れ動く時代の中を、軽やかに渡っていくためには女に惚れてはいけないのだ。「本気」になると体も心も硬直する。それを彼は知っているのだろう。
そもそも、この女郎屋にいる女たちは、みな「本気」から遠い人間ばかりだ。
言い換えれば、佐平次の病気と隣り合わせのニヒリズムがこの作品の底流にあるということ。
いっけん軽やかで喜劇に満ちていながら、今からすると豪華な俳優陣たちの群像劇の背後には、どこかさめた視点が感じられる。
そうした相反する物の両立を、フランキー堺の個性が可能にしている。