この映画は無料で見られるので幸運。やったー!監督は全く知らないので調べてみた。ジャワド・ラリブ(Jawad Rhalib (born 1965 in Morocco) )と言って、モッロッコ生まれで、ベルギーとモロッコの両国籍を持っていると、ウィッキーに書いてある。両親はモロッコ人であるから彼は移民一世であるから批判的思考能力が強いと思う。(人にもよるけど。。。)
このいじめやら衝突の発端はリベラルなMoniaが刺青を入れて、レスビアンだということで、これらはイスラム教でラディカルの上、過激派で、イスラム教の思想においてでこれらは御法度(Haram)だと言ってMoniaに対して暴力を振るう。オンラインでの誹謗中傷も数々。クラスで、JalilaはMoniaの風刺画を書いて、クラス中に回す。そこにはDiving of a Dyke(レスビアン)と書かれていて、崖から落ちていくMoniaが描かれている。先生はなぜこんな風刺画を考えついたかと聞く。いじめはクラスでも堂々とあり、JalilaとRachidはその中心人物だ。Moniaに対してはKafir(アラーを信じてない人)という。 先生はアラーはこのクラスには関係ないと怒鳴る。他の先生はMoniaがレスビアンでイスラム教の仲間からいじめを受けているのを早急な問題だと考えていない。アマル先生はシリアスな問題なので早く手を打ちたいと思っている。
クラスで、Jalilaは黒人に対して、KARABA( これはキリクと魔女Karaba and the Sorceress)で悪役の魔女)と呼び、先生から謝れと言われる。Jalilaはあっけなく謝る。(これが不思議で、モスリムとモスリムだった同級生どうしでは寛大になれず、他の人種には自分が間違っていたごめんと謝れる。)
アマル先生の考えたては、Abu Nawas (756 AD-814 AD)というモスりムの My tears to my Cup を読むこと。( この詩が検索で見つからない)https://www.poemist.com/abu-nuwas/love-in-bloom この詩が好きなのでここに載せる)その当時はホモセクシャルはゆるされず、処刑されていた。「Abu Nawas は男が好きだった。8世紀を想像してごらん、彼は嘘をいうことを拒否した。彼自身を受け入れたのよ』と先生。生徒たちはそれぞれ意見をいう。先生は『私は皆さんの人間性に興味がある。信仰じゃない』と。アジア系の女生徒ルナは『他の文化の詩歌を読むことはクールだ』と。『挑発的だ。我々には関係ない文化だ』とルーカス。『問題は白か黒かでなく、寛大で、一緒に生きていく環境を作ること。Abu Nawas は白黒でなく何かを教えている』と。『読むことは世界を広げること。私のアドバイスは読むこと。そして、自分に質問してみて。批判的思考能力をもっと養って。あなたたちは自由になれるのよ』と。そして、『信仰と生活のバランスを保つのよ』right balance of faith and life. (この言葉が、気になった。信仰心の強い人は生活が信仰だから。)
下記の意味がわからないので、調べて翻訳機に入れた。 The Islamic Enlightenment:イスラム啓蒙時代とは、18世紀後半以降のイスラム世界における重要な知的、社会的、政治的変革を指し、イスラム世界の停滞という西洋の言説に異議を唱え、イスラム教徒が近代性、理性、科学、改革にどのように関わってきたかを浮き彫りにするものです。これは、クリストファー・デ・ベライグの著書『イスラム啓蒙:信仰と理性の闘い、1798年から現代まで』に詳しく記されています。
アマル先生はまた、生徒たちをMohammend Merah のようにはさせたくないと。校長にナビルの肩を持つな、校長はこの状況が見えていないと叫ぶ。(イスラム教でなければわからないラディカルなモスリム教徒の動きを感じる。ラジカルなモスリム教徒がどう行動に移すか、 そして、警察には何もできない動きがあるようだ。アマル先生がこれだけ執拗に叫ぶので、何か薄気味わるい。)ナビルはスーツを着て、ネックタイを締めている、 Salafistesias だと。校長先生は落ち着け落ち着けと。労働局から不平が出てるよ、一週間、休みを取って頭を冷やせと。
検索ではMohamed Merah (1988–2012) was a French-Algerian jihadist who carried out a series of three shooting attacks in southwestern France in March 2012, killing seven people.
Moniaの父親、サリムはこの棲家をさることをMoniaに伝える。 ナビルとその妻(?)とRachid(Mehdy Khachachi)と妹とその父親は一緒に食事をしながら話し合っている。でも妹はママはママはと母親を恋しがっている。母親は明らかに、リベラルなモスリムで追い出されたか、逃げ出したかである。急進的なモスリム教徒でないことはわかる。Rachidも母親からのメッセージを読むが、父親に悟られないようにしている。停学になっている間もよく妹の面倒を見ている。妹とRachidは席を立つが、話はMoniaのことになる。どうもくせものらしきものはナビルの妻のような気がする??。妻はナビルに『あなたはモニヤを治すことができたはずだ。悪魔払いもできたはずだと。ルキヤ(イスラム教の祈祷療法)もできたはずだ。』と。 Monia の父親であるサリムはそうしたくなかったのだとナビル。これらの会話をRachidはずううと耳を澄まして聞いている。
ここで、Rachid(Mehdy Khachachi)がスマホでビデオどりしながら、ナビル(おじさん)に質問する。(この質問が初めは理解できなかった)-Did you try to helo my miscreant mother to repent? この役者はいい。なるほど、ストーリーの初めから、懐疑心を持っている目線はここからきているんだとわかった。この意味はモニアには更生するチャンスを与えていたが、自分の罪を犯した母親にはそのチャンスを与えたかということをRachidはおじさんに質問しているのだ。わあ、母親が何をして家族と離れているかはわからないが、母親にはひとかけらの情状酌量のような措置がなかったんだね。