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Amal(原題)
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『Amal(原題)』に投稿された感想・評価

この映画は無料で見られるので幸運。やったー!監督は全く知らないので調べてみた。ジャワド・ラリブ(Jawad Rhalib (born 1965 in Morocco) )と言って、モッロッコ生まれで、ベルギーとモロッコの両国籍を持っていると、ウィッキーに書いてある。両親はモロッコ人であるから彼は移民一世であるから批判的思考能力が強いと思う。(人にもよるけど。。。)

彼はカトリックの大学 Louvain-La-Neuveで学び、専門はコミュにケーションだと。益々気に入った、こういう人は。映画界には1997年に入り、以前はジャーナリストだったと。(ウィッキーから抜粋)こういうジャーナリストや弁護士から監督になった人って、社会派の作品を作ると論理的で、深いんだよね。(私の偏見かもね?)そしてさあ、問題提起が上手で、鑑賞している人も、その一員となって、考えさせるんだよね。


見終わったが、いや、確かに問題提起の高い作品に仕上げている。この場合はイスラム教だが、宗教は何にたとえてもいい。ベルギー自体、国教を持っていないから、宗教の偏り以上に、政教分離を基本としている国である。この映画の場合、ベルギーの宗教団体、イスラム教が特権を行使しているが、国の法律を越えてはならないはず。これについて、この映画は問題提起していると思う。それはベルギーの公立高校にあるモスリム教徒の多いクラスの宗教の先生ナビルが信教の自由を逆手にとらえて、イスラム教の思想を生徒に啓蒙している。そこではナビルは明確にシャリアとアラーの掟だけが、生徒の従うものと言っている。このクラスにMoniaモニアが出席していたかは定かではないが?この設定から行くと、クラスにいたから、虐待されたのである。ホモセクシャルは国の法律では認められているが、シャリア法律やアラーの神はこれを罪だとして、更生させるわけだから、モニアにとっては性の多様性を国が認めている国に、それに、同化主義を取っている国に住んでいて、自由を味わっているのに、『罪人』になるとは心外だろう。モニアは過去にモスリム教徒だったわけだから、急進的なモスリム教徒は彼女を罰しようとするわけで、寛大さのかけらも無い。そして、一度モスリム教徒になれば、その教義から道を踏み外せないことになる。それに、この場面設定が公立高校で、英語の文学のクラスのようである。文学の先生アマル(ルブナ・アザバル)も、思想的には、モスリム教徒を離脱した過去があるようで、教義に忠実な原理主義的な行動を理解できているようだ。そして、原理主義が過激派でジハード(Jihad)になりゆることも。
急進的なモスリムのこの社会ではモスリム教以外の生徒には寛大さがあり、ラディカルなモスリムJalilaは黒人に対する人種差別的発言に対して即座、謝罪できる。そして、モスリム教徒であったと察せる、アマル先生は許せない。モニアも。この内と外の違う思想はどこからきているのか、どうして、そうなるのか理解できない。教えて欲しい。

長くて、深い作品に仕上がってあるので、数回に分けて、観賞してた。







以下はただのメモ:
20分ばかり観た。でも、あまりにも複雑すぎて、頭の中で整理がつかないのでここにメモ書きを用意した。それに、私はイスラム教の教義を全部理解していないので、知らないことはメモるようにする。そのほかにも、気づかないことで知らないこともあると思うが。

学校はブリュッセルの公立の高校らしいい。ベルギー自体が同化主義をとっているらしく、モスリムの女学生は学校ではヒジャブをつけていないが、家に帰る時は、ロッカーに行ってヒジャブをつけて学校外に出る。(日本も多文化共生主義をとるか同化主義をとるか徹底した方がいい)
まず、クラスでは他人種が入り混じっている、モスリム、西アフリカの黒人、ベルギーに数年代居住している家族の人、アジア系の女生徒。モスリム系の生徒が多そうだ。主に、西アフリカの黒人の生徒達とアラーを信じているモスリム教の生徒たちのぶつかり合いをどう文学の先生アマル(ルブナ・アザバル)が介入していくかに思える。
また、イスラムの封建的な生徒、JalilaとRachid(おじさんが宗教の先生Nabilナビルで一緒に住んでいる)などと、モスリムだったリベラルな生徒、Monia(Kenza Benbouchta(刺青を入れて、レスビアンだと思われているようだ)が争い、これに先生がどう介入するかかもしれない。20分だけなのでまだ的を得ないが、わかるのは西アフリカの黒人の生徒とモスリム教の生徒の衝突か、モスリムの教えを信じている封建的な生徒とモスリムだったリベラルの生徒の衝突を先生がどう立ち向かうかが焦点だと思う。

このいじめやら衝突の発端はリベラルなMoniaが刺青を入れて、レスビアンだということで、これらはイスラム教でラディカルの上、過激派で、イスラム教の思想においてでこれらは御法度(Haram)だと言ってMoniaに対して暴力を振るう。オンラインでの誹謗中傷も数々。クラスで、JalilaはMoniaの風刺画を書いて、クラス中に回す。そこにはDiving of a Dyke(レスビアン)と書かれていて、崖から落ちていくMoniaが描かれている。先生はなぜこんな風刺画を考えついたかと聞く。いじめはクラスでも堂々とあり、JalilaとRachidはその中心人物だ。Moniaに対してはKafir(アラーを信じてない人)という。
先生はアラーはこのクラスには関係ないと怒鳴る。他の先生はMoniaがレスビアンでイスラム教の仲間からいじめを受けているのを早急な問題だと考えていない。アマル先生はシリアスな問題なので早く手を打ちたいと思っている。

クラスで、Jalilaは黒人に対して、KARABA( これはキリクと魔女Karaba and the Sorceress)で悪役の魔女)と呼び、先生から謝れと言われる。Jalilaはあっけなく謝る。(これが不思議で、モスリムとモスリムだった同級生どうしでは寛大になれず、他の人種には自分が間違っていたごめんと謝れる。)

先生はある日、クラスの皆に、人種差別を経験したことがある人はと聞くと全員が挙手する。次に、泥棒と言われたことがある人はと聞くと、有色人種が手をあげる。次に、『テロリスト』と言われたことがある人はと、聞くと、イスラム教の生徒だけ手をあげる。

アマル先生の考えたては、Abu Nawas (756 AD-814 AD)というモスりムの My tears to my Cup を読むこと。( この詩が検索で見つからない)https://www.poemist.com/abu-nuwas/love-in-bloom  この詩が好きなのでここに載せる)その当時はホモセクシャルはゆるされず、処刑されていた。「Abu Nawas は男が好きだった。8世紀を想像してごらん、彼は嘘をいうことを拒否した。彼自身を受け入れたのよ』と先生。生徒たちはそれぞれ意見をいう。先生は『私は皆さんの人間性に興味がある。信仰じゃない』と。アジア系の女生徒ルナは『他の文化の詩歌を読むことはクールだ』と。『挑発的だ。我々には関係ない文化だ』とルーカス。『問題は白か黒かでなく、寛大で、一緒に生きていく環境を作ること。Abu Nawas は白黒でなく何かを教えている』と。『読むことは世界を広げること。私のアドバイスは読むこと。そして、自分に質問してみて。批判的思考能力をもっと養って。あなたたちは自由になれるのよ』と。そして、『信仰と生活のバランスを保つのよ』right balance of faith and life.
(この言葉が、気になった。信仰心の強い人は生活が信仰だから。)

この指導で厳格なモスリム教の両親が憤って学校に来る。校長は何を教えるかカリキュラムで決まっていて、両親は口出せないと明確に宣言。そして、Koranic School(コーランの学校)に移りなさいと。ホモセクシャルは法律違反ではないときっぱり。アマル先生もAbu Nawasを教える権利があるときっぱり。これはさすが同化主義の教育だね。

校長は親が帰ったあと、アマルの味方だけど、この教材は教えるなと。
(建前と本音だね)、アマルを擁護するためでもあるからね。先生方のそれぞれの意見を言い合うが、クラスが始まるので解散。

その後、Moniaは学校に来られないことをアマル先生は生徒に伝える。この後の部分はあり得そうなホーラ劇だね。 アマル先生は神経衰弱になっているようで、クラスをコントロールすることも、自分を抑制することもできない。自宅もめちゃめちゃにされてしまう。彼女はイスラム教のラディカル思想(正統派?)の 本拠地の事務所に一人で乗り込んでいく。そこでは非ジャブをせよとか、スカートが短いとかなんとかで、Nabilナビル(停学になってるRachidのおじさん)というモスリムの先生が、イスラム教を信じていないアマル先生を攻撃するが先生も負けてはいない。(ちょっと、説明する気になれない、スリーラーで、薄気味が悪くなりビデオを止めた。)

アマル先生は狂人のようになって、学校長に怒りをぶつける。ナビルを解雇せよと。その理由はナビルはイマンのように、The Islamic Enlightenmentを宗教のクラスで解いている、彼の頭の中はシャリア法でいっぱいであると校長に怒鳴っている。まるで、狂気の沙汰のようである。

下記の意味がわからないので、調べて翻訳機に入れた。
The Islamic Enlightenment:イスラム啓蒙時代とは、18世紀後半以降のイスラム世界における重要な知的、社会的、政治的変革を指し、イスラム世界の停滞という西洋の言説に異議を唱え、イスラム教徒が近代性、理性、科学、改革にどのように関わってきたかを浮き彫りにするものです。これは、クリストファー・デ・ベライグの著書『イスラム啓蒙:信仰と理性の闘い、1798年から現代まで』に詳しく記されています。

校長の答えは『私はナビルの宗教のクラスに招待されなければ、彼のクラスに入ることができない。彼がクラスで何をしているかは私は何もコントロールできないから』と。(これは米国のユタ州のモルモン教地域の学校と似ている。公立学校が、モルモン教会と隣接しているので、モルモン教徒は宗教のクラスなどをそこで受ける。公立学校の管轄以外になる。ーちょっとだけ似てるね。ベルギーのこの学校もイスラム教が多いともモスリム信者のための宗教の教育が学校にある。)


アマル先生はまた、生徒たちをMohammend Merah のようにはさせたくないと。校長にナビルの肩を持つな、校長はこの状況が見えていないと叫ぶ。(イスラム教でなければわからないラディカルなモスリム教徒の動きを感じる。ラジカルなモスリム教徒がどう行動に移すか、 そして、警察には何もできない動きがあるようだ。アマル先生がこれだけ執拗に叫ぶので、何か薄気味わるい。)ナビルはスーツを着て、ネックタイを締めている、 Salafistesias だと。校長先生は落ち着け落ち着けと。労働局から不平が出てるよ、一週間、休みを取って頭を冷やせと。

検索ではMohamed Merah (1988–2012) was a French-Algerian jihadist who carried out a series of three shooting attacks in southwestern France in March 2012, killing seven people. 

検索ではSalafistesias:
サラフィー主義は、スンニ派イスラム教における保守的で原理主義的な改革運動であり、初期3世代のイスラム教徒の慣習への回帰を提唱し、クルアーンとスンナの文字通りの解釈を重視する。神学的正統性を強調し、既存のマズハブ(法学派)を否定して、直接的な根拠に基づく判断を優先することが多い。


Moniaの父親、サリムはこの棲家をさることをMoniaに伝える。
ナビルとその妻(?)とRachid(Mehdy Khachachi)と妹とその父親は一緒に食事をしながら話し合っている。でも妹はママはママはと母親を恋しがっている。母親は明らかに、リベラルなモスリムで追い出されたか、逃げ出したかである。急進的なモスリム教徒でないことはわかる。Rachidも母親からのメッセージを読むが、父親に悟られないようにしている。停学になっている間もよく妹の面倒を見ている。妹とRachidは席を立つが、話はMoniaのことになる。どうもくせものらしきものはナビルの妻のような気がする??。妻はナビルに『あなたはモニヤを治すことができたはずだ。悪魔払いもできたはずだと。ルキヤ(イスラム教の祈祷療法)もできたはずだ。』と。
Monia の父親であるサリムはそうしたくなかったのだとナビル。これらの会話をRachidはずううと耳を澄まして聞いている。

検索では Ruqya ルキヤとは、イスラム教における、邪視(アイン)、魔術(スィフル)、ジン憑依といった霊的および身体的な病気から身を守り、癒しを得るための実践方法です。特定のクルアーンの節やスンナで認められた祈りを唱えることで行われます。信仰心を高め、心の安らぎを与え、原因不明の病気に対処するための霊的な治療法として用いられます。


Monia はアマル先生に、メッセージを残して、自殺を試みる。鳥籠から出たら、もう、戻りたくない。自由を知ってからはもうモスリム教徒には戻りたくないという意味で、自由を求めて死の旅に。

メッセージを聞いたアマル先生はMoniaの家に駆けつける。シーンが急に変わり、病院に。Moniaは無事だったようだ。

学校ではクレメントという事情調査をする人がベルギー政府から送られ、生徒たちに事情聴取に入る。90%の生徒からは実情は聞けないようだ。自分たちがこの騒ぎの中心人物になっていない。いじめの張本人のJalilaですら、何も知らないという。クレメントはRachidに名刺をあげ、極秘にするから何かあったら話してくれと。Rachidは自宅で、モスリム宗教クラスのナビルの教えのビデオ(アラーの神はベルギーの法律より、上)を見ている。それをSNSに載せたようだ。アマル先生のいうように、ジハードは重要だというようにイスラム思想を啓蒙している。(同化主義を唱えているベルギーで、宗教の先生、ナビルはイスラム教の思想を正しいとしていて、イスラム教の思想がベルギーの法律を超えるものと考えているのだ。)

ここで宗教のクラスが初めて映し出されて、内情がわかる。ある生徒がMoniaは彼女に起きたことは当然のことか聞く。ナビルは自殺は禁止されてると。彼女はホモセクシャルから更生されなければならないと。ホモは禁止で、病気だ。治さなければ、罰が与えられると先生。ある生徒は通りでゲイを見たら、叩いていいかと。更生しなければ、罰を、Yes, Gently!と先生。それって、法律的(licit)に正しいのとある生徒。(さすが)先生はベルギーの法律によると、正しくない、アラーの神とシャリア法律によれば正しいと。(はっきり、先生が生徒の前で、イスラム教の法律はベルギーの法律以上の力を持つと公言している。問題発言だ。)そして、one really matter!と言ってるoneはアラーの法律だけだと。


ここで、Rachid(Mehdy Khachachi)がスマホでビデオどりしながら、ナビル(おじさん)に質問する。(この質問が初めは理解できなかった)-Did you try to helo my miscreant mother to repent?
この役者はいい。なるほど、ストーリーの初めから、懐疑心を持っている目線はここからきているんだとわかった。この意味はモニアには更生するチャンスを与えていたが、自分の罪を犯した母親にはそのチャンスを与えたかということをRachidはおじさんに質問しているのだ。わあ、母親が何をして家族と離れているかはわからないが、母親にはひとかけらの情状酌量のような措置がなかったんだね。

そして、Rachidは叫ぶ。「目を覚ませ!ナビルが原因で、モニアは病院にいる!死んだかもしれない」と。『ネットに載せたよ。この悪魔の正体がわかったよ。もう怖くない。』と。それをJalilaが真っ向から反対し、教義の正当さを主張し、クラスはまっ二つに分かれる。