あんじょーら

ファニーゲーム U.S.A.のあんじょーらのレビュー・感想・評価

ファニーゲーム U.S.A.(2007年製作の映画)
4.1
ずいぶん前ですが、オリジナル版の「ファニーゲーム」をDVDで見て、これまでで1番怖い映画!(今、その地位は個人的には「ブルー・バレンタイン」に譲ることになりました)と思ったのですが、ホラー作品におけるトップは相変わらず私にとっては「ファニーゲーム」です。そのリメイク作品、しかもハリウッドでわざわざリメイク、その上監督を変えないでやる、ということでいつか見る機会があれば(といいますか、非常に見る側にも体力が要求される映画なんです)見ようと思っていた作品です。で、その機会が訪れたので見ました。


バカンスに家族3人で別荘に向かう父ジョージ(ティム・ロス)とアン(ナオミ・ワッツ)と息子ジョージー。湖畔にある別荘には親しいお隣さんも来ていて、その傍らには見知らぬ青年もいるのですが、どこか雰囲気が悪いです。しかし無事別荘にたどり着き荷解きを始めたところへ、白い手袋をはめた青年が来て・・・というのが冒頭です。




映画に娯楽性、エンターテイメント性だけを求めては いない 人にオススメ致します。








!注意!

今回はネタバレありますし、内容に触れないわけには行きませんし、非常に不快にさせる映画です。が、しかし、その理由はもちろんあります。ただ、映画に娯楽性やエンターテイメント性 だけ を望む方には、全く、全然、まるで、微塵も向かない作品であると思いますし、拷問に近いとさえ言える作品だと思ってます。

当然、拷問が目的ではなく、内なる声に目を向かせる為のものであって、配慮も充分してあると思います。しかし、それでもわざわざそんなもの見たくないし考えたくない、という方はご遠慮くださいませ。見たくないし考えたくないというのは誠にもっともで健全であると私も考えます。が、個人的傾向といいますか、客観性や俯瞰で自らを引いて見てみたいと望む人には、考えずにはいられないものでもあると思いますし、客観性を高めることは必要なことだとは思います、映画でわざわざは、確かに、ですけれど。

!注意おわり!










































私はオリジナルの版の方を評価するものです。


なぜなら、映画の冒頭の卵を借りにやってくる青年とアンとの会話での不穏さが段違いにオリジナル版の方が良い(というか、非常に息苦しい不安感に包まれていると私には感じられる)からです。この映画の肝はまさに観客である受け手と、監督との戦いであると言えると思うので、その掴みであるこのシーンは重要ですし、その「空気」の張り詰め方がオリジナル版の方が良いと判断します。


この冒頭の卵を借りにくるシーン、とにかく気持ち悪い空気に支配されていくのですが、そのグラデーションが、不穏な空気の張り詰め方が、私はオリジナルの方が怖くて恐ろしいと思うのです。ほとんど忘れかけていたのですが、今回「ファニーゲームUSA」を見て思い出せるくらい衝撃的でした。私はこの冒頭が1番恐ろしいと思います。その後の展開も恐ろしいですけれど、よく考えると残虐なシーンはほとんどなくて、そのどれもがわざと見せないように演出しているような気がします。その代わりに冒頭のシーン、夫婦で居間に置き去りにされたシーンが強調されていると思います。


演出も、脚本もそうなのですが、とにかく「救いが無い」ことをただ拷問のように見せているようで、受け手の期待や予定調和を裏切ることで受け手に普段考えもしなかったことを目の前に突きつけてきます。映画は娯楽です。が、娯楽だけではない手段としても用いることが出来ますし、娯楽として捉えることしか考えなくなってしまうことへの恐れも含んで、しかも突き詰めて考えさせられるようになっています。だからこそ、青年がカメラ目線で、私たち観客という受け手に、語りかけてくるのです。ゲームの参加者は、青年と家族だけではなく、受け手である観客もまた、賭けに参加しています、心の中で、予想するということで。あくまで映画なんだからきっと救いがある、という考えを綺麗に裏切ってくれるのです。だからこそ、伏線を張りつつ、回収しているのに、何処にも救いが無いのではないか?と思うのです。そして、救いを、カタルシスを自然と映画に求める、と言うことが、いかに安易な騙しであるか、を自覚させるからこそ、この映画が恐ろしいのではないかと思います。主人公に感情移入しているから、正義は勝つものだから、虚構であるのだから、という無意識の期待をことごとく裏切ることで、無意識の刷り込みを自覚することが出来るのではないか?と。


ただ、個人的には巻き戻す、という部分に於いて、少々甘いと感じました。もっと映画的な手段を駆使して欲しかったです、なんとなく映画というよりビデオやテレビ的な手段のように感じました。そしてかなり悪趣味でもあります。そこまで観客と映画の峻別しないで曖昧にしておいた方がより効果的だったのではないかなとも思います。ただ、あまりに厳しすぎたのかも知れませんが。


虐殺されているのは家族だけでなく、私の勝手な期待と安易な思い込みでもあるのです。そういう意味では映画「ダークナイト」のジョーカーのような作品である、とも言えますね。ジョーカー的に考えた行動を青年2人組は必ず行動してくるわけです。なにしろ家族が助かる、というカタルシスを得るためには、家族が襲われる、というトンネルを抜けなければならず、ということは家族が助かって欲しい、と願い期待し、ハッピーエンドを望むことは同時に、家族を痛めつける青年の行動を望んでいることに等しい部分がある、あなたもそのことに加担しているんですよ、という事実を意識させることに他ならないと思うのです。

しかし、ティム・ミスター オレンジ・ロス、老けたなぁ・・・