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この父に罪ありやのニューランドのレビュー・感想・評価

この父に罪ありや(1937年製作の映画)
4.4
【詳細は、『なつかしの顔』2022-5-23欄に】稀代の傑作には違いない。40年以上前に『真実一路』1部については淡い感じの16ミリ版で観たが、2年半前観たこれは、短縮版ながら前のよりは画質はいい。小津・清水と同様に吐夢・田坂を評価してた田中真澄さんの田坂論はあるのだろうか。ネットの、現在の欠落の大の一般的プリントをやや埋めはする『海軍』長尺版や、半世紀前は今程まだ劣化してなかった最高作『爆音』にも触れてたか。そもそも彼にとっての田坂の中心は、この『真実一路』や『路傍の石』辺りだったのだろうか。

🔙【2022-5-23 文章途中からのコピー】久しぶりに観た『なつかし~』は、描写も心も最も美しい作であると、再確認したが、田坂の代表作の一本『眞実一路』が、これまでの目が届く範囲の上映素材だった、前編だけだが90分16ミリ版の画質の悪さから、1時間弱に再編集はされてるとはいえ、特にいいとも言えない(傷が多く·繋ぎも不全で·絵も格と力をやや欠く)が35ミリで観ると、やはり·かなりイメージが刷新される。何年か前、35ミリで観れた『路傍の石』も16ミリ版での傑作に後ひとつから、史上の大傑作と直した評価に似て、今回も映画史上最も美しく確かな、画と心を認めた。成瀬と田坂、日本人に生まれてよかったは、独善的だが、それくらい圧巻だ。
 『眞実一路』前編短縮版の前に、ごく初期のサイレント映画のこれも大幅短縮版『更生』が上映されたが、そこでの低く歩く脚のフォローらの長く力強い移動らに比べると、移動は効果的だが強引なものは抑えられ、火事や暴行からの·恩人の娘の救出の、倒れる花瓶·滴る水·助け出し物を動かす激しい動的カットと極端なモンタージュもない(『更生』は、窮乏の末の犯罪を許され·更生に向かわせてくれた、父娘の、火事·その後の生活危機を、身を挺して救い、恩返しし·自己も成長してく青年の話)。しかし、描写はより緊密に美しく噛合ってる。そして、両作に共通する、悲劇のヒロインの顔=表情と感情を角度·フィットパンや移動で、心の内の生めかしさ迄·意識されない自然なレベルで、都度適宜·常に凄いスキル反応で捉えこんでる事。他作には観られない作家的特質·天才は、40数年前に観た(もっと後かも知れない)ボヤッとした16ミリ版からは充分に感得出来なかった。
 それも含め、役者を捉える低め仰角や俯瞰めのその都度の親しさ·いとおしさ·造型。が、あくまで家庭や友人·血縁に留まる、つましい価値観と美。人間が、理想と共に切り離せない、自身の生命の艶めかしさ。それは内面から凄絶で、また自然この上ない備えた資質だ。俯瞰め退き全図や、寄りの対応や切返し、部屋への出入りや寄る移動、室内の美術の映画の華美拒否、フォローで歩き来ての会話·カットの個人毎分割、ラストの知らぬ儘の偶然の母との遭遇と川と海が砂筋を挟み隣接したような不思議な空間と切返し·思わぬアップの組立、全てのカットが、均質に力を持って堅固·清廉に絡み·強度をより築き抜き、役割を分ける形も·その上の全体への理念を·直ぐにではなく彼方に共通して持っている形式。それでいてその体現の持ち主の各人の画面外の環境で、それを揺さぶり内から齟齬·対立もせざるを得ない、相手を潰しかねないも·ひたすら優しく誠実に、仮に隠すという形でも、心を開陳し合う、事実を曲げず何かに纏め上げだけはしない、表現とその対象のあり方。
 「何があろうと真実だけは互いに守り·示し合い、それをどこかに隠し置く事だけはすまい」「隠したり嘘をつくことも、単に真実を明らかにし合うことよりも、より大きな真実になるに、近づくことへも」精一杯に眞実一路を進み抜き、2つの大きな結論的姿勢が浮び上り、人間関係の断絶は生んでも決して対立するものでなく、根の線のひき方は同じで、現実を汲み入れての深度と柔度が違って平行線が提示される、劇の構造の進め方。
 下の子には死んだと、上の娘には傲慢で出ていったとされてた母が、不遇の子をはらみ·相手は愛してくれてるも·上からの配慮でしかない者=父と籍を入れた家庭へ。その欺瞞に我慢出来ずに下の子が生まれた時に出ていくも、上の自分のではない子まで引き取り·渡さず、育てた、父の矜持·家に負い目を持たせぬ生き方。隠し置いたそれの、決断した叔父からの、娘への教え(その辺を先に知り、娘は知ってたものと、破談にした、心が一体だった婚約者のことも分かってくる)。1人、事実·真実を知らぬ(が、無形に歪みを受けながらも、無垢の力で伸びて来た)下の子のあどけない力への、偶然会った母の笑みと動揺から、何かが転がり始める。
 世界と表現への誠実さが、どちらかがリードすることなく、極めて高次レベルで均衡を作りながら求め合ってく瞬間瞬間が現れてくを、共有し取り込めてゆく。緊張·密度と、高邁な確信の核の存在を、触りこちらに増殖出来てゆく。(この後の、戦後のスポンサード映画の『ぼくら~』も、鋭さこそないが、学級の装備充実を託された委員が、図書の充実による実用と心の進歩を集中的に目指し、物量·貸出システムを整え、それを更に補完するものとして、僻地や希望品の叶えに適した巡回図書バスや、米国からの施設で本に限らない文化を揃え提供する団体に迄、届くを平明なタッチで、紹介を超えて方向づけを示唆する作で、真の意味で同じく教育的。『長崎~』でのあからさまな反米·米からの被爆者への謝罪導きの、引換作にも見える。)田坂·成瀬共に、世界映画史上の最高峰に位置してる事は、間違いない。ルビッチやドライヤー、ドヴジェンコと同列を与えられさえすれ、劣る事はないと思う。その最高作は、彼らと同じく、世界映画史上のベストテンに伍するものだ。そんな田坂の傑作を羅列する中に『真実~』は入るに留まらず最上位に近い、と思われる。『爆音』『はだかっ子』『真実一路』『月よりの使者』『ちいさこべ』『路傍の石』『長崎の歌は忘れじ』『鮫』『湖の琴』『土と兵隊』(10本目としては、『~坂道』『海軍』『五人~』『~おさん~』、或いは遺作でも、置換え可能。)
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