When I was kid.
映画には心を奪われて没頭するに然るべき気迫を構えているものと、そうでないものがある。
これは、間違いなく前者であると身体で感じた。
映画はすべて何かの'ふり'であるからこそ、抽象性が高いのだ。
解放と恍惚。村上龍の「限りなく透明に近いブルー」の原風景と重なってみえた。
一瞬の過ち=若さ、は時に身を滅ぼす。
生き物として素直な若者たちが抱える少しの不安と喜び。
やはり確信する。そのままのリアル、には価値があると。遺したいと思うことは、普遍なのかもしれない。
「人生はあっという間だから、楽しみなさい。」
たくさんの大人達から言われるこの台詞。
過ぎてしまったら何もかも幻なら、もしかしたらこれも幻かもしれない、映画も、この街も、人生も、今この瞬間も。
他者と性は自分のアイデンティティを確かめるためにも大切である、とマツコデラックスは言っていた。
生きていく上で切り離せない部分を、少年少女の素のままに切々と迫って描く。そしてこのあとに残る虚無は根深くも儚い若者自身を示唆するのだ。
きっときみもぼくも大人になれないまま、