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男と女のkentaのレビュー・感想・評価

男と女(1966年製作の映画)
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この映画が好きすぎて、京都シネマでちょうど上映されていたから観てきた。よって2回目の鑑賞。

Il est mort, mais pas encore pour moi.
彼は死んだわ。でも(私にとっては)まだ生きているの。
(字幕は忘れた。)

モノクロ、セピア、カラーのイメージが協奏する。カラー、それは「まだ生きている」ことを表す。過去に起こったこと、過去の人が、今ここにいる「私」=登場人物に鮮やかに現れていること。上のアンヌの言葉とともに色とりどりの画面は意味を持ち始める。
カラーで描かれる彼女の夫との思い出、その生き生きとした感じは、彼が死んだというのは嘘で、嘘をつきながらいけない恋をしているのではないか、そんな妄想をさせる。そうやって私達は2人の恋を楽しむ。いけないものは悦びだ。

セピア。現在のことであっても回想かのように見せる。しかしそれは映画の中に流れている時間の中での回想ではなく、映画を観ている私達の、現実の時間の流れの中で、映画の終幕が来たときになされる回想。私達は、あらかじめ回想することを先取りされる。登場人物と共に「現在」を経験していたかのように思えて、実は私達は、過去になることを宿命づけられている過去に生きていた。だから、映画が見終わったときに、見終わってすぐにも関わらず、かけがえのない恋を思い出していたときの懐かしさと寂しさを抱く。

モノクロ、それは夜のためにある。色を剥ぎ取られ2人が裸になるかのよう。裸のやりとりだ。剥ぎ取られた色、それはイメージ自体が物質性を帯びることでもある。つまりは二重にエロティックなのだ。
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