菩薩

お引越しの菩薩のレビュー・感想・評価

お引越し(1993年製作の映画)
4.5
大人と子供の境界線をどこに求めるかが、この映画の場合では何かを与えるか、それとも与えられるかの差の様な気がするが、例えば琵琶湖畔行きの電車の中でのレンコは無意識(?)におやつのプリッツを母から遠ざけ独占するが、帰りの電車ではくしゃくしゃになった離婚届を差し出した後に、自ら進んで母に「食べる?」とおやつを差し出す。父と母の手を離れ、と言うか現実から逃げ出し、子を失った老人の庇護下にある内のレンコはまだ明確な子供であるが、彼女が「早く大人になるから!」と叫んだ後に、その身体には唐突に初潮が訪れ、そして森を抜けた先では子供である自分との決別(死別と言っていいのかも…白い服が死装束にすら見えるし、なんなら三途川にも思える)の儀式が行われる。子を失った老人に「来年また来るから」と口約束をした様に、帰りの電車内で母とも「来年また来ようね」との口約束が交わされるが、レンコはおそらくそのどちらの約束も果たされないであろう事をこの時点で認識している。人生は楽しい事ばかりが待ち受けているわけでは無く、何かを与えられるばかりでも無く、悲しい事、辛い事、そして何かを失う事(=与える事)を通して自分を変えていく事が求められる。全ての「契約」が履行される筈など無く、結婚などその際たる例であるが、「親」を失い「家族」を失えど「私」は「私」を手に入れるのだとの「未来」がエンドロールで提示される。祭りの終わりの少し物寂しい気分はあれど、その清々しさの先に希望を観る。あの湖畔は「父に、ありがとう 、母に、さようなら 、そして、全ての子供達におめでとう」の世界の中心でアイを叫んだけものへと接続される。
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