パリパリ海苔

星を追う子どものパリパリ海苔のネタバレレビュー・内容・結末

星を追う子ども(2011年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

少女が自分でも知らぬ間に封じ込めていた感情を地下世界の旅を通じて認識するようになるという筋書き自体はシンプルで良いと思うのだが、地下世界の存在はそのための踏み台としてしか機能しておらず、退屈な時間が続いた。新海監督が象徴的機能を持つものとしての異界を細かく、時に大胆に設定するという物語の作り方をあまり得意としていないのだろうということは、これ以降のフィルモグラフィーに照らせば明らかである。その一方で、異界という装置の導入によって死生観などについてより自由に描写できる余地が生まれ、このあと展開されていく諸作品(現代日本と政治の問題を結びつけた『君の名は。』以降)における思想の実験場のように機能している点は興味深い。死生観にまつわるある種の説教臭さを本作から読み取ることができるが、説教臭さの再登場は新海が日本を描いた作品としては『天気の子』(2019年)まで待たなければならないし、やはり本作は新海のフィルモグラフィーにおいて異色、荒削りかつ先駆的な作品として位置づけられるだろう。新海についてはしばしば、『君の名は。』(2016年)以前、特に『秒速』(2007年)や『言の葉の庭』(2013年)ではミニマルな世界で自らのフェティシズムを全開にした作品作りに取り掛かっていた(そしてその頃の方が好きだった)という語られ方が見られるが、本作が存外スケールの大きな話と(普遍的な)価値の提示をおこなっていることによりそうした批評は的外れであることが分かるだろう。

ジブリとの比較:
生活にまつわる描写の細やかさや曲線的で色彩豊かな地下世界の造形等はよく言われるようにスタジオジブリの諸作品を意識していると明確に思われる一方で、地下世界の扱われ方に関しては、その地上世界に対する関係が対比的に描かれている点において、たとえば『千と千尋』のような現実世界の象徴として機能する異界とは異なっているように感じられた。
そして、主人公のアスナが自ら進んで「ここではないどこか」を求めて地下世界へ赴く点も重要であるだろう。『千と千尋』や『となりのトトロ』において異界は迷い込むものである。また、ジブリの諸作品では主人公が危険の入り口に魅了されることも重要な要素の一つである。この点については本作にもアスナのシュウに対する恋心という形で描かれてはいるが、シュウは物語の前半で死んでしまう。結果、アスナが異世界へ赴く契機としては魅了そのものというよりも対象の喪失が挙げられる。つまり本作では辛い現実から逃げる先として、愛する人の死という耐えたがたい事実を否定しうる可能性として、あるいは「ここではない」どこかとして、地下世界が機能している。こうした、現実と虚構の対立のような問題設定はジブリにはあまり見られることがないものだろう。この現実と虚構の相違という点に加えて、死んだ妻を甦らせようとする先生という存在は、作中ではイザナギやオルフェウスの神話が言及されているが、『エヴァ』を思い出させる。
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