きっこ

独裁者のきっこのレビュー・感想・評価

独裁者(1940年製作の映画)
4.5
その後に想いを馳せて

「沈黙を破る」で目にした人災の瓦礫。
今、日々目の当たりにする天災の瓦礫。
毎日の病院通い。
もやもやする胸中、それでも、もう劇場で出会う機会はないかもしれないと、劇場へ。

(罪悪感も伴う)その心根が影響したせいか、回りがクスクスする場面で笑えなかったのです。
冒頭の砲弾のシーンでは胸が痛かった。
それよりもなりよりも、怖いと感じたのです。
こんなことしたら、危ないよ、チャーリーさん。と。
もう、ずっと前に、この映画は撮られ、既にチャップリンさんは亡くなっているのに。
希望よりも何よりも、映画に描かれていないその後が一番気にかかりました。
命を賭けて訴え続ける意味って何なのだろう。
人にそこまで期待できるのかしら?
(作中で、自分たちにやさしければ、バッチ買おうとする場面もありましたしね。)
‥実のところ、私はそこまでは無理かも。とあの演説を聞いて思った弱い自分がしっかりといます。(‥そして、それを書く事で、罪悪感をちょっと免除してもらおう。という、これまた困った下心もあったりなんかして)
不自由さを強いられて、人は自由のありがたさに気がつく。それはきっかけでもあるのかもしれません。変わるための。そして、試練としての。
今、このタイミングでこの映画をみられたことに感謝。
(個人的にチャップリンさんの作品では「キッド」が一番すきなんですけどね。)
(映画生活投稿分2011)
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