ポルりん

人間の証明のポルりんのレビュー・感想・評価

人間の証明(1977年製作の映画)
2.5
ご都合主義の名手である佐藤純弥監督が手掛ける、全て刑事の野性的なカンと運のみで解決するポンコツ映画。

■ 概要

「犬神家の一族」に次ぐ角川春樹事務所製作第二弾。
舞台を日本とアメリカに据え、戦後三十年という歳月の流れをつつむさまざまな人間の生きざまを描く。
脚本は一般公募で選ばれた「ふたりのイーダ」の松山善三、監督は「新幹線大爆破」の佐藤純彌、撮影は「悶絶!! どんでん返し」の姫田真佐久がそれぞれ担当。


■ あらすじ

『東洋的な風貌を頬に刻んだひとりの黒人青年が、ニューヨーク・バンクで六千ドルの大金を白人紳士から受け取り、みすぼらしいスラムをあとに、一路東京へと飛び発った。
キスミーに行くという言葉を残して。
東京ロイヤル・ホテルの四十二階で、人気絶頂の女流デザイナー八杉恭子のファッション・ショーが始まって間もないころ、エレベーターの中で、黒人が胸にナイフを突き刺し、西条八十詩集を抱いたままその場に倒れて死んでいた。
男の名は、ジョニー・ヘイワード。
麹町署に捜査本部を置き、警視庁の那須班の刑事たちは、エレベーター・ガールの証言から、ジョニーが死にぎわに口走った“ストウハ……”という言葉を最初の手がかりとして、捜査を開始した。』



■ 感想

森村誠一の作品は、「深海の迷路」や「致死海流」など、ご都合主義展開が多く見受けられる作家だが、中でも「人間の証明」は特段酷い。
中でも特に酷い部分を挙げるとすれば、

・犯人の捜索は、棟居刑事の野性的なカンと運のみで解決したこと。
・母子そろって、偶然にも、似たような時間帯に殺人を犯したこと。
・犯人の八杉恭子が、偶然にも、棟居刑事の父が撲殺される事件に深く関わっていたこと。
・ニューヨークで、棟居刑事と組んだ相棒のシュフタン刑事が、偶然にも、棟居刑事の父を撲殺した犯人であること。

など、一つの殺人事件であり得ない程の偶然が重なっており、全くリアリティーが感じられない。
「人間の証明」は、唯でさえご都合主義のオンパレードな作品なのに、本作は角川映画であり、更に監督が「新幹線大爆破」や「北京原人 Who are you?」とご都合主義の名手である佐藤純弥監督だ。
その結果、ご都合主義展開はより酷くなり、それに加えて意味のないシークエンスが増え、クソみたいな演出を多用しており、原作よりも更に酷い作品に仕上がってしまった。


とりあえず本作は疑問が生じると、原作以上に自然と直ぐにヒントが降ってくるので、特に捜査に苦労している描写がない。
ジョニーが最期に口走った


ジョニー「ストウハ・・・」


という意味深な言葉は、殺害現場を捜査して1分程で分かってしまうし、ジョニーがハーレムを飛びだした時に管理人に話した、


ジョニー「キスミーに行くんだ!!」


の「キスミー」について疑問に思えば、割と直ぐに大滝 秀治がおでん屋でヒントを教えてくれる。

一応、本作のメインはミステリーではなく人間ドラマではあるが、もう少し謎を引っ張ってもいいんじゃないか・・・。
余りにも早く謎が解明するので興覚めするし、そして何より強引すぎる。
特に「キスミー」のくだりは余りにも酷く、全くリアリティーがない。

棟居刑事がおでん屋で、「キスミー」とはどこなんだ??と悩んでいると、何の前触れもなく大滝秀治がおでん屋に入ってくる。
そしておでん屋に入るや否や、不自然なくらい大声で詩集について語り出す。
その会話の中に、霧積(きりづみ)といった言葉があったので「キスミー=霧積(きりづみ)」と答えが出るのだが、幾ら何でも強引すぎだろ・・・。
私は、今まで何度もおでん屋に行った事があるが、未だかつて一度も詩を読みながら入店した人を見たことがないぞ。
そもそもどういった思考回路をしたら、「キスミー=霧積(きりづみ)」となるのだろうか・・・。

そして、棟居刑事が霧積(きりづみ)に着けば直ぐに犯人について重要な情報を持っている老婆が見つかるのだが、偶然にも前日に犯人がその老婆を殺している。
いや、幾ら何でも犯人の手回しが良すぎじゃないか・・・。
普通に考えたら、捜査内容を把握しすぎているという点から、警察関係者が疑われても不思議ではないのだが、犯人は警察にコネなどないデザイナーである。
一体どうやって捜査内容を把握していたのだろうか・・・。

それから数分後、殺害された老婆の関係者に聞き込みをしたら、あっさりと犯人が判明してしまう。
こんなにあっさり犯人が分かるんなら、犯人が老婆を殺す下りがいらないと思うのだが・・・。

そして、棟居刑事は犯人が分かるや否や、犯人の八杉恭子の元に行くのだが、あろう事か証拠もないのに現段階での推理を犯人に全て話してしまう・・・。
案の定、


八杉恭子「証拠はあるの??」


の一言で何も言えず、玉砕してしまう・・・。

バカかよ・・・。
相手はデザイナーとはいえ、国会議員の妻というかなり危険な相手だぞ。
何もしてこないから良かったものの、ミスったら何人の首が吹っ飛ぶことやら・・・。

その後、棟居刑事は、犯人の息子を探すと同時に被害者の出生を調べる為に、被害者の母国であるアメリカに行くのだが、その大半が無駄である。
いや、アメリカのシークエンスというよりも、サブストーリーである八杉恭子の息子の話が丸々無駄話である(これは原作にも言える)。
本作のサブストーリーは、八杉恭子の息子が誤って見ず知らずの女性を車で轢き殺してしまい、海に捨てるというものである。
その女性が実は不倫をしていたり、不倫相手の男性と旦那がタックを組み、女性を轢き殺した犯人を探すといった要素もあるのだが、話が無駄に長いし、特にメインストーリーに絡まない。
このサブストーリーがメインストーリーに絡む部分は、犯人の息子の死だけである。

棟居刑事が八杉恭子に息子の死を伝えた後に、八杉恭子は絶望に打ちひしがれながら事件の経緯を自白する。
このシーンの為に長々とサブストーリーを描いていたのだが、もっと短く効果的に出来たと思うのだが・・・。
そもそもこの息子は人間として腐っており、性格が悪く、母子共に一切共感する事が出来ない(ジョニーは別)。
なので、息子が死を絶望しているのは頭では理解しているつもりだが、息子がクズ過ぎる完全に理解する事は難しい。

サブストーリーを脚本から全て外し、脚本とキャラクターに少し改良を加えた方が全然いいと思うのだが・・・。
例えば、息子の性格を優しい母想いにして、ひょんな事から息子が八杉恭子の全ての真相を知り、耐えきれなくなって自殺とか。
ありきたりだが、こちらの方が八杉恭子が自白する説得力が生まれるし、何より時間を短縮する事ができ、本作に明らかに足りていない要素を入れる事が出来る。

無駄と言えば、ファッションショーや事件の報を受けて非常階段を42階まで駆け上がるシーン、そしてカーチェイスなど本編に不必要なシーンが多い。
特にカーチェイスは、公道なのに異常に車が少なく、邪魔をする車が全然なかったり、かなり不自然な箇所が多く、シーンと音楽にマッチしていない。

音楽と言えば、本作では大野雄二が担当しているのだが、OP以外は本作にあまりマッチしていないように思える。
これは、大野雄二がクソという訳ではなく、単に佐藤純弥監督がおざなりなオーダーしか出さなかった事が原因である。

そういえば、本作では原作と違い、授賞式会場で大勢の人がいる中で自白するのだが、


八杉恭子「息子が死にました、私が殺したんです。(中略)あの子さえ帰ってきたら・・・この賞はいりません。」


と、授賞式とは微塵も関係ない超絶ハードな事を言ったのにも関わらず、自白が終わると何故か会場から拍手喝采が起こる。
意味が分からん。
この会場にいる連中は読解力皆無のバカなのか・・・。
バカどもも問題だが、刑事たちも八杉恭子の自白に感動し、その場を立ち去る八杉恭子を見ているだけで、まんまと逃がしてしまう。


お前らアホか!!
そんなんだから犯人に自殺されんだよ!!


それにしても、犯人に目の前で飛び下り自殺されるまで、ぼけーっと見てた二人の刑事は懲戒処分になるんじゃないのか??
まあ、周りに誰もいないし、適当に言い訳して誤魔化したんだと思うけど・・・。


以上のように、唯でさえ酷い原作を、本作では更に酷い脚本と酷い演出により、見事なクソに仕上がっている。
大体、本作を鑑賞しただけでは、何が「人間の証明」なのかが理解出来ないんじゃないか・・・。
岡田茉莉子が20代を演じるって言うのも、かなり無理があると思うし・・・。

比較的にクソな部分が目立つ作品ではあるが、

・ジョニーが飛び上がって、「人間の証明」とタイトルが出るカッコいいタイトルバック(大野雄二の音楽がマッチしている)。
・棟居刑事の父がシュフタン刑事に撲殺されるシーン。
・「ママ、僕が嫌いなの?憎いの?」と何度も聞き返す、ジョニーが殺されるまでの一連のシーン。
・八杉恭子が自殺するシーン(美しい朝日や主題歌など)。

など、素晴らしい部分も存在する。
もう少し脚本を練って、監督を社会派ミステリーに適した監督に選出していたら、素晴らしい作品になっていたのかもしれない。
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