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『Mektoub, My Love: Canto Due(原題)』に投稿された感想・評価

[夏の終わり、或いはその宙吊り] 90点

大傑作。2025年ロカルノ映画祭コンペティション部門選出作品。アブデラティフ・ケシシュ長編八作目。『Mektoub, My Love: Canto Uno』『Mektoub, My Love: Intermezzo』に続くサーガの三作目、三部作の二作目。一応、四作目となる完結編『Canto Tre』も当初は予定されていたが、もう絶望的だろうというのが大方の予想。本作品は他の二作と同様、2016年に9カ月に渡って撮影されたラッシュを編集したものなので、6年ぶりに新作を撮ったというわけではないようだ。前作『Intermezzo』は2019年のカンヌ映画祭のコンペ部門にてプレミア上映され、13分間に及ぶオーラルセックスを含む非シミュレーションの性行為シーンが含まれており、その撮影がキャストに大量のアルコールを飲ませてほぼ不同意相当で行われたのではないかということが問題になった。更には、出演者のオフェリー・バウがこのシーンの上映を嫌がったもののケシシュに拒否されたため、上映前に退出し記者会見に欠席したことも話題となった(詳細は調べても良く分からなかった)。その後、再編集をして公開するなどの話は何度かあったものの、使用している曲の著作権料の高騰や製作会社の倒産(そもそもこれを撮るために『アデル~』のパルムドールを売っている)などが重なり、今に至るまで実現していない。続報もない中でいきなりロカルノ映画祭で三作目となる本作品が登場したのには驚いた。ケシシュは本作品のプレミア上映直前に脳卒中で倒れてしまったので出席せず、バウを含むメインキャストとプロデューサーのみの参加となった。バウは前作への質問には回答せず、他のキャストは監督と作品を擁護する回答をしていた。物語は一作目の直後、シャルロットのホテルで料理を作ってもらうためにビーチから撤退したシーンで終わった1作目の続きとして、シャルロットのホテルのキッチンから始まる。前作は未見だが本当に"間奏曲"だったのか。本作品では前作に登場した二つの要素が掘り下げられる。オフェリーの結婚とアミンの映画脚本執筆である。式まであと一か月、そろそろ婚約者クレモンも戻ってくるというタイミングでトニーとの子供を妊娠していると知ったオフェリーは、アミンを隠れ蓑にパリで堕胎手術を受けようとする。トニーは不倫が公になった場合のことなど全く考えずに実現性の低い夢を語るだけで頼りにならず、結局はアミンを頼るしかない。オフェリーが突然パリに行きたがることを周囲は怪しんでおり、トニーとの最後の不倫旅行なのではないか?という噂まで立ってしまう中、アミンは大好きなオフェリーが立たされる苦境に寄り添おうとする。セリーヌが押し掛け女房のようにベタベタしてくるのにも上の空だ。一方、アミンはエージェント気取りのトニーの仲介で、あるアメリカ人夫婦に出会う。若い妻ジェシカ・パターソンは1作目でも名前のみ登場していたソープオペラ女優で、その年上の夫ジャックはそのドラマのプロデューサーだった。初登場時から、閉店後のいつものレストランに押しかけて料理を要求するというカスムーヴをかましてくるこの夫婦は、我儘なジェシカにジャックが振り回されているようで、なんだかんだアミンの脚本を読むことになったのもジェシカのせいだし、ジェシカがそれに夢中なフリをしているのはトニーに会えるからだった。映画化検討のためにジャックがセートを離れるとき、ジェシカとトニーは越えてはいけない線を越えてしまう。

1作目から時間は少しだけ進んで、あれだけ溌溂として未来なんて少しも考えなかった8月が終わって9月になった。バカンスにも終わりが見え始める、でもまだ終わっていないという宙吊りに似た状態は、三部作の真ん中という立ち位置とも相まって、後に訪れる終焉を予感させる不穏なものにしている。主軸となる堕胎の話は勿論のこと、肝硬変で入院している叔母、ヤギの病気と死といった命の終焉、シャルロットの帰宅やクレモンとの結婚といった自由で楽しい時間の終焉など、様々な"終わり"が言及される。ここからあぶれたトニーとジェシカも、二人だけバカンス気分で(実現性の低そうな)終わらない夢を見ているかと思いきや、しっかりとそのツケを払うことになる。特にトニーに関しては1作目で通用していたものが、全く通用しないまま"終わり"を臨むことになるのだ。そして、それらのほとんどが終焉に向けて転がりながら、宙吊り状態のまま放置される。終わって欲しくない時間が、終わって欲しいのに終わらない時間へと変わっていくのだ。あまりにも三部作の二作目を自覚しすぎている。

1作目冒頭でアミンはトニーとオフェリーのセックスを目撃し、本作品ではトニーとジェシカのセックスを目撃していたので、ジェシカはオフェリーと対になっているのだろう。本来、トニーのオフェリーに対する仕打ちとその結末は、ジャックのような反応が出ても不思議ではないものだったはずなのに、1作目では誰もがそれを無視し、自由を享受していた。子羊たちの出産シーンに代表されるように、冒頭からセックスシーンを置いていたように、生命感に溢れた作品だった。バカンスの終わりはいつも寂しいが、ここまで大規模な崩壊を予感させる作品に仕上がるとは驚いた。そんな本作品が、1作目に流れる無為な時間の尊さを際立たせるのかもしれない。

ちなみに、ジェシカ役はジェシカ・ペニントンという女優でクレジットされているが、IMDbではジョディ・テイラーという元ポルノ女優ということになってるようだ。『Truly Naked』に続いて、今年はスクリーンでポルノ女優をよく観るなぁ…
para
3.8
ひとことで言うなら、南仏バカンス 色恋刃傷沙汰物語

3部作の最終章
第1章→intermezzo →第2章の本作。
前2作は未見(intermezzoは問題作のようで鑑賞不可)

ケシシュ監督(「アデル、ブルーは熱い色」)が本作をロカルノ映画祭で上映する直前に脳卒中で倒れて今も療養中とのこと。

南仏セット(セート)が舞台。
主人公アミンは恐らくアルジェリアかモロッコにルーツを持つアラブ系フランス人。
パリで医大に通うもの脚本家(映画監督)を目指して中退し、バカンスシーズンに帰省、親類縁者と夏を過ごしている。

誠実なアミンは女好きの従兄弟トニーやトニーがちょっかいを出す女性たちのフォロー(尻拭い)をさせられるが、、、

いわゆる「いい人」止まり、無害とみなされ安全牌アミン。

終わらない夏、
アミンは走り続けた先で何を見出すのか。

行き当たりばったりな人生をそのままフィルムに収めた風なのですが、集中して見入ってしまった。
メクトーブ、定め(宿命)。

(そんな宿命嫌だなぁ)
3.5
【Intermezzoの件はどうなった?】
動画版▼
https://www.youtube.com/watch?v=C3INWjiuRKQ

日仏学院にて開催されている第7回映画批評月間にてアブデラティフ・ケシシュの超問題作『メクトーブ、マイ・ラブ 第2章』がお披露目となった。本作は『アデル、ブルーは熱い色』でパルム・ドールを受賞したアブデラティフ・ケシシュがフランソワ・ベゴドー「La Blessure, la vraie」を10年以上の歳月をかけて映画化した壮大なプロジェクトのひとつであり、製作当時から金策に苦慮し、パルム・ドールを売ってまで資金調達した作品となっている。ケシシュ自体、トラブルメーカーであり様々なパワハラ/セクハラの嫌疑がかけられており、映画人としての終焉を迎えつつある中でなんとか制作を続けてきた。そんな本シリーズだが、2019年に発表した2作目《Intermezzo》が3時間半に及ぶ上映時間の大半がお尻や胸のアップでありポルノ紛いの作品としてカンヌ国際映画祭上映時に物議を醸し、映画祭を最後に現在も上映はもちろん配信すらされていない封印作となっている。日本では矢田部吉彦とNISHI THE WILDが鑑賞しているのだが、評価は真っ二つに分かれており、前者は否定/後者は賞賛となる結果となった。《Intermezzo》に関しては、海外で上映の署名運動が行われたり、再編集版を公開しようとする動きもあったが、結局権利処理が上手くいかなかったらしく上映にまでいたらなかった。

そんな問題のシリーズだが、2025年7月に驚くべきニュースが舞い込んできた。世界有数の映画祭ロカルノ映画祭の2025年コンペティション一覧が発表されたのだが、そこに3作目『メクトーブ、マイ・ラブ 第2章』が入っていたのである。そこで海外メディアを調べてみたのだが、《Intermezzo》の件はなかったことにされているのか有耶無耶にされていた。フランスで一般公開されると批評家の評判は高くAlloCinéの平均星評は4.0と高かった。試しにカイエ・デュ・シネマを読んでみたのだが、元々作品と背景を切り離して考える傾向の強い媒体ということもあり、この問題には明確に触れられていなかった。

強行突破に近い形で上映された本作、そして現在脳卒中で療養中につき、もしかするとケシシュ監督最期の一本になりそうな本作を恐る恐る日仏学院で観てきたのだが、複雑な思いが募る一本であった。

本作は第1章と蝶番の関係となっている。1作目におけるアミンがトニの激しい行為を覗くことから始まる青春が本作では終焉へと繋がってくるのである。確かに陰キャのアミンは成長した。パリピの輪に入れず、太陽が燦々と輝くリゾート地の中で家へ引き篭もり、ドヴジェンコ『武器庫』を観る陰キャムーブから本作ではアメリカ人映画プロデューサーの会食へ潜入し、パリピトークについていけず狼狽えながらも果敢に自分の脚本を売り込むまでに成長している。

相変わらずケシシュ監督は、痴話話の名手であり、もはや映画として破綻するギリギリのところで笑いの瞬間を的確に捉えていく。序盤では、閉店したレストランにプロデューサーと妻で女優のジェシカが押し入り飯を注文する。よりによって時間がかかりそうなクスクスを注文するクズっぷりを発揮する(クスクスの前にスパゲッティをジェシカが汚く貪るシーンがあるのだが、『アデル、ブルーは熱い色』でもやっていたのでケシシュ監督のフェチと思われる)。また、映画の脚本をアミンが披露する場面では、医学部を中退して書いたSF映画のタイトルが『存在の普遍的原理』と哲学書と混同したものとなっており、しかも内容が『ブレードランナー』を数センチズラしたようなパクリ脚本であり噴飯ものである。上映前に坂本安美さんが本作のアミンはケシシュ監督の分身と語っていたが、あのような強面ビジュアルで陰キャの極みであることにジワる。

ただ、映画としては、そもそも1作目でヒロインを演じたオフェリー・バウが監督からオーラルセックスシーンを強要されたと主張した件もあってか、あれだけトニと一緒に熱い関係になろうとした話をぶった切るように両者とも今度はジェシカを取り合う展開に変わっており、しかも終盤の展開があまりにもハードコアだったため、何も変わっていないなと思ってしまい声高らかに評価できない一本となった。

ちなみに、終盤のシーンがやけに『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の後半と撮影が似ているのは、《Intermezzo》をカンヌ国際映画祭に出品した際のコンペにいたから観てインスピレーション受けた感じなのだろう。是枝裕和が『怪物』で『CLOSE』っぽいことをしていたのと状況は似ている。

『Mektoub, My Love: Canto Due(原題)』に似ている作品