
谷口善太郎は、1931年に<須井一>のペンネームで、突如プロレタリア文学の新星として文壇に登場した。処女作『三・一五事件挿話』、続く初長編小説『綿』は、プロレタリア小説運動の中核を担った評論家らに絶賛された。 宮本顕治(文芸評論家『敗北の文学』)は、<全プロレタリア文学の中で近来のすぐれた収穫の一つ>とし、蔵原惟人(評論家『芸術論』)は、<最近現れたプロレタリア作品の中で、断然光を放っている>と評した。1899年、北陸で小作農の次男として生まれ、幼い頃から陶器工場で働き家計を支えた。父親との死別を機に、単身京都に移住。大学への進学を目指し、清水焼の職人となる。しかし、第一次世界大戦後の恐慌が本格化し、それまでに貯めた大学進学資金の貯金を全て失ってしまう。「いったい世の中はどうなっているのだ!わたしは世界じゅう焼けてしまえと思った」。やり場のない怒りと絶望の淵で、労働組合に巡り合い1922年、非合法で結党された日本共産党に入党。労働運動、革命運動に身を投じていく。日本が中国侵略戦争に向かってまっしぐらに突き進むなか、戦争へ反旗を翻す思想、革新的風潮は苛烈な弾圧にさらされた。 1928年、<治安維持法>による三・一五事件により逮捕。野蛮な拷問によって獄中で瀕死の状態となった末に仮釈放される。以来執筆活動や他人との面会も禁じられた。5年あ まり自宅に病臥、軟禁状態となる。そんなさなか、プロレタリア作家同盟の小説家・貴司山治の強いすすめにより、小説執筆活動への転身を決意。作家として再び起ち上がった。若い頃から短歌や俳句、小説に親しみ蓄積された文学的素養は、奇しくも治安維持法の弾圧の中で花開いた–––
©2025『谷口善太郎 たたかう小説』