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Parallel Tales(英題)
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『Parallel Tales(英題)』に投稿された感想・評価

[ある覗き見に関する未精錬の物語] 40点

2026年カンヌ映画祭コンペ部門選出作品。アスガー・ファルハディ長編十作目。クシシュトフ・キェシロフスキ『デカローグ』の第六話『ある愛に関する物語』のリメイク作品。主演はイザベル・ユペール、共演にヴィルジニー・エフィラ、ヴァンサン・カッセル、ピエール・ニネ、カトリーヌ・ドヌーヴ。この時点で怪しげな香りがしてくるが、ドンピシャで当たるとは悲しいことよ。ちなみに、音楽は原作と同じズビグニェフ・プレイスネルが担当している。物語は新作小説の構想に苦しむ著名な作家シルヴィが、向かいのアパートを盗み見始め、そこにあるサウンドスタジオで映像に効果音を付けている男女三人について、想像を膨らませて小説を書き上げていく。一方、老齢ながら自分の生活に全く気を配らないシルヴィを心配した姪が、偶然出会った親切なホームレス(原作全話に登場するホームレスのアルトゥル・バルチシをモデルとしているのか?)のアダムを引っ越しの手伝い係として送り込み、短い共同生活が始まる。アダムはあるとき、シルヴィが捨てた原稿をモデルとなった男女三人の一人であるニタに渡してしまい、それが原因で通りを挟んだ二組の人々は運命を掻き乱されていく…云々。まず一番の問題点は、シルヴィが全く要らないということである。原作では団地が舞台となっていたので、主人公を若者にすることが出来たが、フランスに置き換えるにあたって観察対象を中流階級の白人にするには、主人公がそこそこの立場にいないと隣人になり得ない…などと考えたのかもしれない(フランスにも団地はあるけど、それだとバンリュー映画になってしまう)。どれくらい不要かというと、中盤以降シルヴィはほぼ登場せず、アダムに部屋を提供する偏狭老人というだけになってしまい、あのユペールを(だからこそなのか?)かなり持て余していた。それくらい要らない。しかも最悪なのは、アダムが自作と偽って渡した原稿について、自分が書いたものとは一切修正せず、超越者みたいな済まし顔で対応していることか。"これは事実じゃない!と言うなら怒る必要もないじゃないか"というのは、惨めな自己正当化に過ぎないが、その言葉は薄気味悪く反響するだけでどこにも届かない。

アダムが原稿を渡して以降、ドロドロ三角関係と思われていた三人は、実際は仕事上の仲間であり、二人の男はニコとテオという兄弟であることが判明するが、なんだかんだ二人の男はニタに対して恋愛感情めいたものがあり、原稿を再現してしまうような行動に出てしまう。それはそれで興味深いが、前半部分でシルヴィが体験したことを小説の中というテイで(青いフィルターがかかっている)三人に再演させるという無駄な時間があったので、こちらも無駄な時間にしか思えず。無駄な時間というと、スタジオの隣の部屋で電気が点きっぱなしなのを通報して住人の死を知ったり(『裏窓』的な?)、ニコが運転席にいるテオを絞殺しようとしたり(『ある殺人に関する物語』)、他の映画をパクっているシーンもあった。そんなことするくらいなら、本筋をもっとスリムにしてください。

不思議なのは、視線についての映画として様々な視線を登場させて原典を想起させるのに力を入れているにも関わらず、効果音アーティストという仕事を通して音のに関することまで手を広げようとしていることか。しかし、効果音関連のエピソードが広がるわけでもなく、映画として音が重要なモチーフになるわけでもなく、シンプルに風呂敷を広げすぎて自爆しているだけだった。また、視線劇に関しても、基本的には一方通行で、サウンドスタジオ側からシルヴィ宅を見ることがほぼないため、どうにも緊張感が伴わず火力不足という感じがする。

アダムの行動理念が謎すぎて恐怖すら感じたが(特にラストを見てしまうと…)、思えば冒頭でシルヴィの姪をスリから救ったのも、シルヴィの原稿を利用してニタに近付いたのも、根底にあるのは同じなのかもしれない。あれはある意味で『ファニーゲーム』的なラストと言えるだろう。怖すぎる。ファルハディは本作品を通して何を伝えたかったのだろうか?さっぱり分からない。