Jeffrey

スターリングラードのJeffreyのレビュー・感想・評価

スターリングラード(2000年製作の映画)
3.5
「スターリングラード」

冒頭、1942年、ドイツ軍の猛攻に晒され陥落寸前のスターリングラード、送り込まれた新兵、敵の銃弾が降り注ぐ中、次々と敵兵を狙撃する。ライフルと共に育った男、伝説となる射撃の名手、希望の光、抹殺、凄腕のプロのスナイパー、極限対決。今一対ーの命と祖国を賭けた戦いが始まる…本作は歴史を揺るがした、究極のスナイパー対決を描き、第二次世界大戦中、泥沼化したドイツとソ連のスターリングラード攻防戦を背景に、実在した伝説のスナイパーの波乱に満ちた生き様を壮大なスケールで描いた戦争アクションの傑作で、2001年にジャン=ジャック・アノーが監督、脚本を務め(アラン・ゴダールとの共同出執筆)、アメリカ、ドイツ、イギリス、アイルランド合作の戦争映画で、この度BDにて再鑑賞したが非常に面白い。原作はウィリアム・クレイグで、第二次世界大戦時にソビエト連邦の狙撃兵として活躍し、英雄となった実在の人物ヴァシリ・ザイツェフを主人公に、当時のスターリングラード(現ヴォルゴグラード)における激戦(スターリングラード攻防戦)を描いたフィクションである。主演は若き日のジュードロー、ジョセフ・ファインズである。

今思えば役者のジュードの名前の由来は、イギリスロンドン生まれでトーマス・ハーディの小説"日陰者ジュード"そしてビートルズの名曲Hey Judeにちなんでその直作られたことを思い出した。この時代はまだ彼も若手で、彼のヒット作と言えばユマ・サーマンとイーサン・ホークと共演した近未来映画「ガタカ」やケヴィン・スペイシー、ジョン・キューザックと共演したイーストウッド監督の「真夜中のサバナ」だと思うが、やはりジェニファー・ジェイソン・リーと共演した「イグジスデンス」も強烈だったし、パルトロウ、マットデイモンと共演したり「リプリー」が最も彼をスターダムにのし上げた映画だったのではないだろうか。一方のジョセフ・ファインズは「ハリーポッター」のヴォルデモート卿を演じているレイフ・ファインズが兄である事は有名だろう。


さて、物語は1942年9月。1ヵ月にわたりナチス・ドイツの猛攻にさらされてきたスターリングラードは、もはや陥落寸前。市街は瓦礫の山、ボルガ河は血の海と化していた。スターリンの名を冠した街であると言う理由から司令部は徹底攻戦を支持するが、武器はすでに底をつき、送られる援軍は新兵ばかり。日々衰える士気の中で死者だけが増えていく。まさに泥沼の最激戦地だった。ヴァシリ・ザイツェフも、補充部隊として赴任した新兵の1人だった。上陸直後の降り注ぐ砲弾を生き延び、広場に累々と重なる死体に紛れて反撃の機を待っていたヴァシリは、同じように身を潜めていた青年政治将校ダニロフと出会う。

闇雲に撃って出ようとするダニロフを制したヴァシリは、手にしたライフルで離れた場所にいるドイツ軍士官を次々に射止めていく。一撃必殺の正確さ、しかもこちらの居場所を悟られずに一切を成し遂げた冷静さに、ダニロフはただただ驚嘆する。ヴァシリはウラルの羊飼いの家に育ち、祖父に射撃を仕込まれたのだった。毛皮を損なわないためには、一発で目を撃ち抜かなければならない。先の天才スナイパーの同一人物とは思えないほど控えめに話す純朴なヴァシリに、ダニロフは好感を抱く。一方の彼も、教養にあふれ、共産党のエリート将校として理想を熱っぽく語る彼に無条件の信頼を寄せる。翌日、ダニロフが発行する党機関紙プラウダ(赤い星)にヴァシリの名が踊った。

同志スターリンの呼びかけに応じてやってきた若きヴァシリ・ザイツェフ。ライフルのみを武器にして、1人、また1人とドイツ兵を倒していく苦しみを数えてはいけない。ただ、殺したドイツ兵の数のみを数えるのだ。ダニロフはスターリングラードの守備を立て直すため赴任してきたフルシチョフ司令官に、次のような提言を行った。我々に必要なのは英雄です。同胞に希望とプライドと戦闘意欲を取り戻させるために。適任者が1人います。その時からヴァシリのスナイパーとしての任務が始まった。1人、また1人と標的のドイツ人士官を倒していく彼の活躍は、ダニロフの記事を通して新聞、ラジオで大々的に報じられ、ダニロフの思想通り、反響は瞬く間に全国に広まり、各地から激励や感謝の手紙が国民的英雄ヴァシリの下に届くようになる。

自らの危険を顧みず任務を遂行するだけじゃなく、それらの手紙にも不慣れな筆致で誠実に返事を書く彼を、ダニロフは兄のような面持ちで温かく見守るのだった。そんなヴァシリを見守っている人間がもう1人いた。レジスタンスの女兵士ターニャだ。美しいターニャに対し、彼もダニロフも一目で恋心を抱くが、互いに遠慮して言い出せない。彼女は、心優しいヴァシリに次第に惹かれ始めるが、ダニロフはそんな彼女の心を知ってか知らずか、ドイツ語のできる彼女を自分のいる司令本部に強引に転属させてしまった。ヴァシリの活躍でソ連軍の志気がややも盛り返したとは言え、戦況は相変わらず一進一退を繰り返していた。とりわけドイツにまでヴァシリの勇名が轟いた結果、その暗殺を目的にドイツ軍きっての狙撃の名手ケーニッヒ少佐が送り込まれてからは、再び暗雲が垂れ込めるようになる。

狙撃手としての腕も、冷静に相手をつけ狙う執拗さでも互角以上の強敵の出現にヴァシリの自信は初めて揺らぎ始める。さらに狡猾さて、一歩上を行く、ケーニッヒ少佐はターニャが弟のように可愛がっている少年サーシャを言葉巧みに抱き込み、ヴァシリをおびき出す卑怯な策を目論んでいた。ヴァシリに危険が迫っていることを知り、彼を愛していることをもはや隠せなくなったターニャはダニロフの部隊を離れ、ヴァシリのいる防空壕へと走った。ダニロフによって英雄に祭り上げられていることを重荷に感じるようになっていたヴァシリは、ー縷の罪悪感を抱きつつもターニャを受け入れる。一方、すべての所有権を発揮する共産主義の理想と愛する人を独占したいと言う自らの欲望に引き裂かれたダニロフは、ある作戦の遂行を告げる。

それは友であるヴァシリを見殺しにしかねない非情な作戦だった。1942年11月。スターリングラードの街と、そこで極限の生を強いられていた若者たちの運命を決する戦闘の火蓋が、まさに切って落とされようとしていた…とがっつり説明するとこんな感じで、第二次大戦で最も激烈な戦いと言われたドイツとソ連のスターリングラード戦。世界の行方を決めたのは、伝説の若きスナイパーだったと言う謳い文句が記憶に残る迫力満点の戦争映画である。しかも25歳のスナイパーと言う若さでの画期的な物語である。監督はすでに「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で実在の登山家の波乱に満ちた運命を描き、ブラッド・ピットの人気を不動のものにしたことで新世紀に名前を刻んだ人物で、実在した伝説的スナイパーの極限化の愛と生を空前のスケールで描いた第二次世界大戦の最も悲惨な末路をたどったスターリングラード戦が写し出される。


何といっても、ドイツ、ロシア両軍合わせて100万人もの命を散らした180日間にも及ぶこの死闘の中で、生きるために、愛するものを守るために一撃必殺の正確さで次々とドイツ兵を殺して自らの意思とは裏腹に英雄に仕立て上げられてしまった若き天才スナイパーの物語なのだから興味はそそる。スターリングラードと言う戦争映画は何本も作られている。だがこの映画はあくまでもスターリングラード全体をフォーカスしていると言うよりかはそのー部のスナイパー同士の戦いに焦点を合わせたものである。そもそもナチス・ドイツを破滅に導いた伝説の男と言われているこのスナイパーのヴァシリ・ザイツェフとは一体何者なのかと言うところが気になるところだ。

まず彼は殺した人間の数は400とも言われる実在の伝説的スナイパーと言うことだ。ウラル山奥の羊飼いの家に生まれた彼は、幼い頃から祖父に射撃を仕込まれその腕は群を抜いていたそうだ。彼をめぐる伝説はあまりに多岐に渡り、どこまでが真実かわからないらしい。しかし彼は戦後60年以上経った今でも、国家的ヒーローであり、スターリングラード(現在ヴォルゴグラード)の英雄記念碑には彼の巨大なレリーフが飾られ、ライフルは市の歴史博物館に保存、戦利品である望遠鏡はモスクワの軍事博物館に展示されている。だが、伝説に包まれ、若干25歳でロシアのカリスマとなった彼の本当の苦悩する人はいないみたいだ。どうやら十分な教育を受けず、文字も読めない人物だったらしいが、ライフルを持てば百発百中、やがて彼の狙撃の腕はプロパガンダに利用され、敵を狙撃するたびにその数が軍に報告され、ラジオや新聞を通じて国中に報道されて英雄に仕立て上げられていたそうだ。

ソビエト軍の士気を高揚させるためにそういう手を使ったのだろう。しかし美しいレジスタンスの娘ターニャと出会い、初めて人を愛することを知った時、彼の中で何かが変わろうとしていたのはこの映画を見ればわかる。本作の総製作費は850万ドルの巨費を投じて制作されたらしく、第51回ベルリン映画祭のオープニングを飾り、冒頭15分間にも及ぶ息を呑む戦闘シーンは「プライベート・ライアン」を超える迫力と悲しみに満ちていると絶賛され、アノー旋風を巻き起こし、ジュード・ロウの類稀な美しさとカリスマ性、そして悲しみを抑えた演技には称賛の声が寄せられたとのこと。共演には「恋に落ちたシェイクスピア」のジョセフ・ファインズに、当時「ハムナプトラ」シリーズでヒロインを演じていたレイチェル・ワイズが。後に彼女は「ナイロビの蜂」でアカデミー賞助演女優賞見事に受賞したオスカー女優である。そしてボブ・ホスキンス、そして敵のスナイパー役でインパクトを残したオスカー俳優の演技派エド・ハリスが冷徹なドイツの将校ケーニッヒを演じている。

このスターリングラード戦についてはやはり日本に置き換えると第二次世界大戦で実に重要な意味があったと思う。太平洋戦争、まぁ私は大東亜戦争と呼んでいるが、ミッドウェイやガダルカナルと同様に、戦局を大きく変えるターニングポイントとなった戦いではないだろうか。ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンの名を冠したヴォルガ河畔の都市は、もしドイツ軍が2度の好機のうち、1度でも勝利に結びつけていたら、極めて寛容に占領できていただろうと言われている。そういえば劇中で女性の兵士が現れるのだが、ソ連軍の陣営に武器を手にする女性の姿が幾たびも登場している意味合いとしては、シベリアからの増援が到着していない段階で兵力不足に陥ったソ連軍の苦肉の策で、工場労働者たちを第一線に投入したと言う受け取り方で良いのだろうか。ドイツ軍将校は敵高射砲陣地に突入してみたら、全て女性兵士だったので驚いた、と言う話が伝わっているみたいだし。

映画を見ている、狙撃銃は遠距離を射撃することから、弾丸も通常のものとは違い、火薬量を増やした強装弾を使用し、薬室部分を頑丈にできていて、銃口初速は実に秒速800メートルもあり、後半に減速しても700メートル先までおよそ1秒で着到して、音速は常温で1秒間340メートルの為、音が届いたときには全てが終わっていると言うことになり、狙撃手は自分の存在が気づかれるまでに仕事をやり終える必要があるんだなと思った。勝負は一発だけだと考えて良い。二発目かそれ以後を発射すると逆に自分自身を発見されてしまう確率が、飛躍的に増大していくんだなと。この映画では基本的に1人行動だったが、一般的に狙撃手には2人1組で、偵察員と共に行動するのが基本ベースになっている。これは狙撃用スコープの視界が狭いためで、そこでスコープより広い視野を有する双眼鏡を手にした偵察員が、ー時の方角の2本並んだ大きな樹木。その直ぐ右下の灌木の間に、目標はチラリと姿を見せてくるとそういった具合に指示していくらしい。

偵察員のもう一つの役割は、当然ながら危険の察知である。敵の狙撃手等を早い段階で把握し、これについての警告を発せねばならない。目標に集中している味方の狙撃手は、この間ずっと無防備状態に近いためだからだ。スターリングラード戦は、歩兵の戦場であると同時に、狙撃手たちの活動の場となった。彼らは戦場の悪魔たちは、一瞬の勝負にかけて行くんだなと思い知らされた。実際この作品では一時的だが2人1組で行動しているシークエンスがあった。オープニングがやはり凄まじい。第二次世界大戦のターニングポイントとなったことでよく知られているスターリングラードをめぐる攻防戦、7台のカメラと爆薬、何百人のエキストラを使って行う撮影の見通しも大変に恐ろしい。冒頭から凄く魅力的である。雪山で狙撃の訓練なのか練習なのかその描写が挟まれて非常に美しいファースト・ショットで始まる。そこから一気に惨たらしい戦闘シーンになり、次から次えと若い兵士が銃弾に倒れていく模様が迫力満点の描写で映される。あの赤の広場を突撃するシーンなんてアドレナリンが駆け巡る。このシーンって、実際の戦闘では、大勢の若者が多くは武器を持たず、訓練もろくに受けていなかったため哀れの死に方をしたんだよなぁ確か。長々とレビューを書いたが、フランス人の監督がロシアとドイツの戦いを描いた作品をまだ見てない方がオススメ。
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