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裏窓のWILDatHEARTのレビュー・感想・評価

裏窓(1954年製作の映画)
5.0
『変態男と金髪碧眼美女』


↓全部妄想なので読まないでね!

これはもう、どうしてもセクシャルなテーマを探りたくなる。
観る度に妄想を掻き立てられる、不思議にエロティックでとんでもなく変な映画。
さてヒッチコック先生はこの映画の中にどんなメタファーを仕掛けて裏テーマを潜ませていたのか・・・についてここで妄想してみることにする。
(注意:以下、飽くまで妄想なので本気で捉えるなよ!)


言うまでも無いことであるが、この映画はメタ構造になっている。
我々が観ている映画の中で、ジェームズ・スチュアート演じるカメラマンもまた自室の窓というスクリーンからパノラマの映画を観ている(実際には向かいのアパートを見ているのだけれど)。
しまいには、商売道具であるカメラを持ち出してきて巨大な望遠レンズで向かいの住民を覗き見る行為に病みつきになってしまう。

カメラのレンズを通して被写体を観察する行為に夢中で、眼前の情景や他人を常に映画の如き設定に見立てて楽しむ男。
どうやらこの主人公・ジェフはヒッチコック監督の分身であることが何となく分かってくる。


さて、とても印象的なオープニングに戻って考えてみることにしよう。
かなり重要な情報が満載なのだが、主人公ジェフはカメラマンで、撮影中のクラッシュにより片脚を骨折して車椅子生活を余儀なくされ、この事故によりカメラが壊れてしまったことが見て取れる。
それにしてもこのカメラ。大事な道具の筈なのだが、見るも無残にぶっ壊れている。
壊れたカメラの傍らでジェフは額に汗をかきだらしなくうなだれている。
後に、窓の外に立派な望遠レンズを向けて、夢中になって覗き見をしている時のあの生き生きとした姿とはまるで対照的な対比がここに示されている。

ここであっと気付く。
カメラの状態はこの男の活力バロメーターなのである。
突き出すレンズ部分の形はまさしく男性のシンボル、という粋な説明システムだったんかーい。

オープニングで画面に登場するぶっ壊れたカメラはこの男が性的不能に陥っていることを暗示していたのだ。
ところが覗き見をするときだけは立派に勃起するイチモツを、かの巨大な望遠レンズでメタファーとして表現しているのだよ、ワトソン君。
それにしても被写体に向かって見事に勃起しておるわなあ。わっはっは。

つまるところ、ジェフは覗き行為によってしか性的興奮を得ることが出来ない変態になっちゃったのだ。
所謂出歯亀であります。


さて、グレイス・ケリー演じるリザは、事故で性的不能に陥った恋人を勃たせるためあの手この手を使ってベッドに誘うのだが、どうもうまくいかない。ジェフは車椅子に乗っかったままでベッドに来ようとはしないのである。彼が一向にその気にならないので、明らかに彼女は欲求不満でしばしば不機嫌である。
そこで、ジェフが嵌(はま)っている変態行為に参加してみることにする。
最初は、一緒になって覗き行為をやってみる。
そうしたところ、意外にスリルがあって楽しめることが分かった。
しかしそれだけではジェフがその気にならなかったので、ついに自分自身が彼の覗き行為の被写体となるため、過激で危険なプレイに手を染めてゆく・・・

というのが、この映画の裏のストーリーである。
「裏窓」だけに、裏にはこんな意味があるのか・・・と、つい妄想を掻き立てられてしまう。


この映画を観ていると、いかにヒッチコックがグレイス・ケリーに恋してしまっていたかがよく分かる。
ヒッチコックは、変態の自分をグレイス・ケリーに性的に介護させるという妄想を、この映画の中で密かに実現して見せたのである。

こんな変態的な妄想を映画史に残る大傑作に仕立て上げてしまうあたり、ヒッチコックの天才ぶりが容易に窺(うかが)い知れよう。


エンディングにおいて、ついに両脚とも骨折してしまったジェフの傍に相変わらずリザが付き添っている。
変態男がどんなに釣れなくても、そしていかに変態であろうとも、懲りずに彼を奮い立たせようとして飽くまでもついていく健気過ぎる絶世の金髪美女。
これぞまさに男の夢じゃ・・・わしは何を言うとんじゃ!

映画はこう撮るんだよ。
ヒッチ先生の余裕綽々(しゃくしゃく)の声が聞こえてきそうである。
まことに変過ぎる、意欲的大傑作でありましたとさ。
はいおしまい。
最後まで妄想にお付き合い下さった方、ありがとうございました!
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