百合

モーリスの百合のレビュー・感想・評価

モーリス(1987年製作の映画)
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いつも窓からやってくる

call me by your nameに感化されて見たクチです。まぁこっちがアイヴォリー監督作ですが。
80年代の作品だけあって?いやふつうにカット割りは稚拙。後半の室内セットばかりのシークエンスもわりと辛かったです。ケンブリッジを舞台にした壮大なロケとクリケットのシーンはよかったのですが、、
cmbynでも思いましたが、監督の性愛のとらえかたとして、ヘテロセクシズム批判だけでなくモノガミー批判もあるのではないか。わたし達はいつも混乱していて、矛盾していて、誰を愛していればいいのか自分でも胸を張れないところがある。監督にとってはそちらの方が自然で、人間の実像に近いものに感じられるのではないでしょうか。だからこそcmbynの2人はひと夏の話なのですし、本作品でもヒューグラントを(『モーリス』という題名に関わらず)中央に据えるような撮り方になっている。モーリスの愛はいかにもフィクション的というか、いわゆる純愛なわけです。それは美しくわかりやすいので馴染みやすいが、自然ではない。だからこそモーリスが負わされた理想愛の相手であるルパートは後半、若干唐突に登場させられるのです。対してヒューグラントは(‘クズ’のような評価をくだされることが多いようですが)一途なモーリスを捨て、女性と結婚し、しかしモーリスとの友情も無くすことはしない。このともすれば不誠実な態度・一貫性のなさこそ監督があぶり出したかった人間の実像だと思うのです。
ふたりの欲望のとらえ方も対照的です。コナをかけたヒューグラントはそのわりに性交渉を拒み続ける。カトリックを小馬鹿にしているのに、神殿たる自分の肉体が汚れるという恐怖を抱いている。愛と欲望は切り離して考えられるという態度なのでしょうか?対してモーリスは愛した相手の身体をごく素直に求めます。
マジョリティである異性愛者が同性愛者に性的なイメージをすぐに結びつけてしまうのはホモフォビアの裏返しだという考え方があります。同性愛者には同性と常に性的に結びついていてもらわないと、‘セックスをしない異性愛者’と‘同性愛者’の区別がつかなくなるからです。ヒューグラントは本当に同性愛者だったのでしょうか?(実際後半で女性と結婚したわけだからそもそもバイセクシュアルともいえるわけですが)それでいくとモーリスはやはりティピカルな、振り切った、わかりやすいかたちでの同性愛者と考えることができます。
ヒューグラントの変貌ぶりを、ただの性的指向の揺らぎととらえるのは誤りだと考えます。つまりここでもモーリスはいかにもフィクションな役割を負っており、ヒューグラントこそがなんというか、‘人間らしい’姿なのです。異性愛者と区別のつけられることのないオリエンテーションを持った性愛のあり方、不誠実で混乱した性愛のあり方、それこそが監督が描き出したかったものなのではないでしょうか。ボーダーの上をフラフラと歩むことこそが、我々の人生に近いものなのだと思います。だからこそヒューグラントは最後に窓を閉めなかった。なにを選び取ることもなにを閉め出すこともできないし、その必要もない。そんな倫理を80年代に打ち出したジェームズ・アイヴォリーはやはり月並みな言い方ですが、先進的だなぁという感想です。
ともに林檎を齧ったシーンが好きでした。まぁあれはみんな食いつくと思いますが…ケンブリッジの学生の洋服と靴音も良かったです。遺跡を展示する博物館で今の同性の恋人といるとき昔の先生にあってしまうシーンもとても好きでした。やはり人間の混乱というものを提示するのが上手い。
音楽もとても良かったですね。美しい。
いい映画でした。
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