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パーフェクトブルーのりのレビュー・感想・評価

パーフェクトブルー(1998年製作の映画)
4.1
本作は、第1にアイデンティティ・クライシス(自己喪失) が主題である。つまり、2つの自己の側面が、すなわちアイドルとしての私と女優としての私が摩擦熱を起こしている模様を描いている。
この病理の根本は、我々が自己を"個"として捉えていることである。つまり、自己を一貫性のある個体として捉えているため、他の側面をうまく統合することが不可能になってしまう。しかし、我々は所属する共同体や関係をしている他者によって微妙に表出する自己は異なっている。つまり、我々は複雑性に満ちており、簡単に固有のものなんて見出すことは難しい。この点は、平野啓一郎が個人ではなく"分人"という概念を提起していることからも支持できる。
第2に、他者に役割期待を過剰に押し付ける人間(オタクやるみちゃん)も主題の1つ。つまり、他者が他者Aに対して主観的かつ理想的な像を付与し、それに従うように期待をする。一方、それに従わないと勝手に期待外れを感じる。つまり、他者に対してキャラ化を要請しており、それに従わないとわーわー喚くのである。付言すると、みまは自己を商品化して「アイドルとしての私」を売っている。つまり、自分自身がそのキャラを必要としていたのである。
しかし、急に進路を変更することによって、古参やルミちゃんは「女優としてのみま」についていくことができなくなった。そのため、虚像である「アイドルとしてのみま」をーもちろん、「女優としてのみま」もそうであるがーいつまでも追い求める。挙句の果てに、みまに強制的にアイドルとしての役割を期待をする者が表れ、一波乱が生まれる。また、逆にルミちゃんはみまに投射していていた「アイドルとしてのみま」を逆転させ、なぜか自分自身がその虚像を引き継ごうとした。ここが面白い。おそらく、人間は信じていた像を壊されるのが怖いんだろうね。だから、自己のホメオスタシスを保つために認知を歪めようとする。




【2018年7月9日】★3.7
途中まで、自己のあるべき姿と自己の在り方の乖離に納得がいかず、幻想を作り出したのかとミスリードされた。まあ本作とは乖離しちゃうが、本当の自分と周囲からのイメージの相違って悩みの種の1つだよな、と。本当は自分らしく生きたいのに、周囲のイメージを保つために演技し、自分をキャラ化してしまう。ぶりっ子もそれに囚われてんのかなあ。「私は可愛く思われている」って勝手に思い込み、それに合わせるために過剰に可愛さを装う。だから、あんなに虫唾が走る身振りや素振りを素っ気なくこなしてしまう。まさか、男に媚びるためにやってるわけじゃないよなあ。そんな戦略的な思考できるんだったら、ぶりっ子の好かれなさも理解出来るだろうに。
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