Jeffrey

フィラデルフィアのJeffreyのレビュー・感想・評価

フィラデルフィア(1993年製作の映画)
3.5
「フィラデルフィア」

冒頭、法律事務所で働く敏腕弁護士。体調不良で検査を受けた結果HIV感染を宣告される。解雇、不当な差別、訴訟、毅然とした姿勢、体のあざ、マリア・カラスのオペラ、パーティー。今、偏見と差別と理不尽と戦う2人の男が写し出される…本作は1993年にジョナサン・デミがトム・ハンクスとデンゼル・ワシントン主演にしたエイズとゲイと法廷を交えた映画で、このたびBDにて久々に鑑賞したが面白い。本作でハンクスは念願のオスカーを受賞した。更に楽曲"ストリーツ・オブ・フィラデルフィア"が歌曲賞を受賞し、ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞)までも受賞した。撮影者は広島出身で日系アメリカ人二世のタク・フジモトが担当している。本作のタイトルの由来はギリシャ語で兄弟愛を意味するものである。今思えばハンクスは、女性監督の作品に多く出ていた印象がある。「ビッグ」「プリティ・リーグ」「めぐり逢えたら」と言う作品は女性のものであり、彼の出世作になったダリル・ハンナと共演した「スプラッシュ」は除いて、彼のファンタジーの世界を軽やかに伸びやかに演じていた彼は、この作品にはいなかった。まさにドラマチックに死へと向かわせる魂と肉体の男を演じていた。

そして弁護士役を演じたデンゼル・ワシントンは、南北戦争下、初めて組織された北軍黒人連隊の白人を憎悪する兵士演じて、大阪も受賞しているし、大物監督の大型話題作、あるいは問題作の主役を演じる黒人俳優として、スターの階段を上ってきた事は誰もが知っていることだ。やはり彼がいちどスクリーンに姿を表すと、たとえどんな風貌であれファンになってしまうのは相変わらずだ。本作は人間がどれほど優しくなれるものなんだろうか、人はどこまで愛に生きられるのだろうか、そういった愛する人を支える恋人だったり、家族だったり、友人たちの静かな愛の物語を最も深く美しい愛のドラマで作ったジョナサン・デミ監督とハンクス、ワシントンの極上の映画である。デミの「羊たちの沈黙」のようなサイコパス映画も監督できる彼がここまでドラマ性の強い作品を誕生させたのもさすがだなと思う。あの映画で世界に衝撃を走らせたアカデミー賞受賞監督となった彼が、当時好感度ナンバーワン俳優だったハンクスや、スパイク・リー監督の大傑作「マルコムX」の大型アクターとして世界に名を知らしめていたデンゼル・ワシントンを起用したところもポイントの1つだ。90年代の映画界をリードする3人が、作り上げた魂のドラマだ。さて物語を説明していきたいと思う。



さて、物語は弁護士アンドリュー・ベケットは、フィラデルフィアの一流法律会社ワイアット/ミラーの若きエリート。社長ウィラーにも信頼され、社運のかかった大仕事も任されるようになる。しかし、彼のバラ色の未来が突然暗転した。体調不良で検査を受けたところ、エイズと宣告されたのだ。ベケットは恋人でライフパートナーの画家ミゲルと暮らしていた。会社側はベケットを即刻解雇した。それはベケットにとっては不当な差別以外の何物でもなかった。彼は損害賠償と地位の確保を求めて訴訟を決意する。しかし、ベケットの戦いに手を貸そうと言う弁護士はいなかった。9人もの弁護士に断られた後、ベケットは仕方なく、以前敵同士として渡あったことのあるやり手の弁護士ジョー・ミラーの事務所を訪ねた。だが、ミラーもまたエイズと言う病に対して抜きがたい恐怖の持ち主だった。

2週間後。司法図書館へ出かけたミラーは、そこで熱心に資料を漁るベケットの姿を見た。ベケットはHIV (エイズ・ウィルス)感染者に対する最高裁の判例を調べていた。時折咳き込む彼に、それとなく個室へ移ることを勧める司書。毅然としたベケットの様子に、ミラーの心が動いた。6週間後、ミラーはスポーツアリーナで幹部たちと混じるミラーに裁判の召喚上手渡した。ミラーは、部下たちにベケットの私生活を徹底して調べあげるよう命じた。一方、ベケットの親や兄弟たちは彼に熱い支援を約束した。とりわけ、母のサラの息子を信頼する誇り高い態度がベケットを勇気づけた。07ヶ月後。自由と兄弟愛の街フィラデルフィアで注目の裁判が開廷した。ミラーは、エイズによる解雇が、明らかな法律違反だとする正面からの作戦に打って出た。

対して、会社側の主任弁護士ベリンダは、ベケットの弁護士としての不適格性を激しくついてきた。エイズの事実を会社側に隠していた事、大きな裁判での訴状をベケットが紛失したこと。しかしミラーは、ベケットがいかに優秀な弁護士であったかを立証し、訴状紛失の件に関しては解雇の口実を得るための会社側の謀略を看破した。予断を許さない裁判の行方と平行して、ベケットの病状は時間との戦いの様相を呈し始めた。しかし、裁判を優先させて本格的治療を先に延ばそうとするベケットに、ミゲールは苛立つ。愛の深さ家に苛立つ恋人を見て思いやりのかけていたことに気づくベケット。そこで彼はミゲールと自分のためにパーティーを企画した。
ミラーはベケットに誘われて、仲間たちが集まるその仮装パーティーに出かける。

ミラーの心の内で、何かが変わり始める。パーティーの後で、証言台に立つ準備をするミラーとベケットは綿密な予習を行う。裁判が終わるまでもつかどうか。マリア・カラスの絶唱に耳を傾けながら、ふと心の揺れをのぞかせるベケットに、ミラーは言葉がなかった。裁判の山場となるベケット、ウィラーの証言が始まった。ワイアット/ウィラーの法律会社としての素晴らしさ、未来への敬意を一点の曇りもなく述べるベケットに、法廷は深い静けさに包まれた。だが、ベケットの労働感は誰の目にも明らかだった。ついに彼はミラーの証言中に倒れて病院運ばれた。3日後、裁判は結審し、原告側が勝訴した。ミラーは病院へ駆けつけ、ベッドの上のベケットのと勝利のサインを交わす。

数日後、大勢の支援者や肉親たちに見守られ、ベケットの魂は天国へ帰っていった。ミゲールから報せを受けたミラーは、かけがえのない友の死を実感した…とがっつり説明するとこんな感じで、愛と優しさが加速し、自由と兄弟愛の街フィラデルフィアを舞台に繰り広げられる、究極のヒューマンストーリーから、誰も目をそらせない演出がなされたこの時代だからこそ作られたテーマの作風である。この映画の面白みは、エイズにかかってしまった主人公が、かつて敵同士だった弁護士に依頼すると言う話はありきたりだが、相手がマイノリティーと言うところがまたポイントだろう。エイズで解雇された弁護士、エイズ恐怖症の弁護士が人間の誇りと尊厳にかけ、2人の弁護士が見えざる敵との戦いに乗り出すと言う展開は非常に良かった。

敵の名は差別と偏見であり、舞台となるフィラデルフィアで、注目のうちに開廷した裁判のいわゆるワン・シチュエーション部分は非常に息つまる展開に仕上がっている。まさに現代に生きることの意味が鮮烈に写し出される。そもそもエイズに対していやしがたい先入観の持ち主だった黒人の弁護士が、とうとう法廷内で炸裂するのだ。その場面はすかっとするし非常に見ごたえがある。さすがワシントンの迫力ある弁論シーンだ。エイズと言うシリアスなテーマに、ハリウッドメジャーが初めて正面から取り組んだ誇り高きエンターテイメントで言う事は承知の通りで、「羊たちの沈黙」で犯罪心理の深層に踏み込んだデミ監督は、ここでエイズ裁判と言うリトマス紙を用し、現代社会の心の有り様を問いかけて行っている。

あくなき差別と偏見の時代だからこそ、求められる愛と優しさ、そして多様な生き方への容認。そのことの重さと意味を監督は一流の明快さで描ききっていると思う。いゃ〜、冒頭のBruce Springsteenのストリーツ・オブ・フィラデルフィアが流れながら優しくその街の光景、風景を捉える丸々1曲が流されるファースト・ショットは非常に居心地が良い素晴らしいオープニングである。そして次のカットでワシントンとハンクスのクローズアップのシーンになるのだから激アツ。2人の共演なんてこれ以降も前も何もないんじゃないだろうか。今となれば2人ともオスカーを2度受賞したベテラン役者だな。若き日のアントニオ・バンデラスも出演している。やはり法廷映画で弁護士をデンゼル・ワシントンに演じさせたらピカイチだ。そしてハンクスは病と闘いながら正義の復権を目指す、困難な役どころを見事に感動誘う演技で観客を感動させている。

この1役でゴールデングローブ賞アカデミー賞ベルリンと3つの主演男優賞を総なめにしたのだからすごい。それにベケットを解雇する法律会社のオーナーのジェイソン・ロバーツも迫力がある。彼は「大統領の陰謀」で知った俳優の1人だ。彼もオスカー俳優で2度受賞している。若き日のアントニオ・バンデラスはこの時結構ゲイ役を演じていたなあちこちで。彼は確か「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」の出演を断り、マドンナを振った男と有名になった時代だろう。会社側の凄腕女性弁護士にメアリー・スティーンバーゲンを起用したのはかなり良い抜擢だったと思う。彼女の物事はっきりさせる感じの強気な女弁護士はたまらない。この2時間5分と言う映画の中には、ニール・ヤングやシャーデー、ピーター・ガブリエルら多彩なアーティストが参加しているのもポイントの1つだ。そもそも当時売れっ子だった音楽担当のハワード・シェアがスタッフに組み込まれているのも素晴らしい。サウンドトラックにはメインタイトルで流れるブルース・スプリングスティーンの名曲は最高だろう。そして劇中に流れるマリア・カラスのオペラ数曲が絶妙な効果を挙げている。

そもそも舞台になっているフィラデルフィアと言うのは、どういうところなのだろうか。まず映画ファンにとってフィラデルフィアと言ったらぶっとび映画ばかり作る品性下劣なジョン・ウォーターズの故郷だということが真っ先に頭に浮かんでしまうのがシネフィルの世の常(笑)。17世紀末から18世紀にかけて貿易や商業の中心となり、アメリカ合衆国2番目の首都として栄えた首都がフィラデルフィアであり、1776年7月4日、トマス・ジェファーソンの独立宣言が公布されたアメリカ史上の重要な舞台である。その歴史は1681年、英国貴族ウィリアム・ペンが父から現在のペンシルベニア州に相当する土地を譲り受けて信仰の自由を保障する理想の植民地作りを計画したことに始まる。そのため多様な植民者が集まり、合衆国で最初の病院、最初の銀行、最初の動物園、最初の劇場等々が建設された。美しい緑の田園都市フィラデルフィア(ギリシャ語で兄弟愛)は、ペンの理念を受け継ぎ文化の中心地として未来を担っているのだ。

そもそも今でこそジェンダーと言う言葉がもてはやされているが、正直この時代からジェンダーと言う言葉もあったし、人間社会に向けられたエイズと言う恐ろしい病気は幸か不幸か文化的なメタファーになったと言えるのかもしれない。実際のところきさらぎ氏も言っているように、ハリウッドの産業としての大衆娯楽映画の特徴は、当然ながら役者(キャスティング)で決まるし見ることができる。これは今の日本映画さながらの事である。個人的に印象に残ったのが、なんてことない仕草によって主人公が置かれている状況をあぶり出しているところだ。例えばワシントン演じる弁護士が握手した手を露骨に拭いて見せた場面など思いっきり偏見に満ちている。しかも面白いのが、白人が理不尽な立ち位置に逆転しているのだ。それからクローズアップの長回しも結構印象的だった。静かに表現するメッセージ性に含まれた印象があった。確かこの作品でトム・ハンクスは体重13キロ減量して撮影に挑んでいたと思う。まだ未見の方はお勧めする。4週間かけた法廷シーンは、フィラデルフィア・シティー・ホールの第243法廷が使われているし、他にもペンシルベニア大学図書館、マウント・シナイ病院、スペクトラム・スポーツ・アリーナ、南フィラデルフィアの某建築家所有のロフトなどが効果的に使われている。
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